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サントゥアン教会堂(ルーアン)

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~サントゥアン教会堂西正面~

ゴシック建築は、シャルトル、ランス、アミアンの所謂古典ゴシックの流れの中で、天井は高く、フライングバットレスは軽快に、柱は細く垂直性が強調され、様式を特徴付ける構造がより洗練されたものへと発展し、1272年に内陣が献堂されたボーヴェ大聖堂においてその頂点を迎える。その天井高は48mにも及ぶが、1284年に一部が崩壊、その後修復・建設が再開、157mの中央尖塔が完成(1573年に倒壊)するも、その後は100年戦争による経済の疲弊もあり、構造に対する実験精神は衰退し、フランボワイアン様式のような細部の装飾に目が向かっていくことになるのだが、一部ではその精神は受け継がれ、新たな挑戦が行われていった。スペインのパルマ大聖堂や、ポルトガルのバターリャ修道院付属礼拝堂等、南方ゴシックの開花がその例の一つだが、ゴシックの揺り籠となったイル・ド・フランスのすぐお膝元であるノルマンディーでも、斬新な実験精神の跡が見られる。それが、今日ご紹介するルーアンのサントゥアン教会堂だ。

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~後陣、見事なレイヨナン様式~

正式名称はEglise abbatiale de St Ouenといい、修道院付属の教会堂だが、ノルマンディー地方で最も勢力を誇っていたベネディクト派に属する。ちなみにこのベネディクト派修道院は、ノルマンディー港町Fécamp(フェカン)で27種のハーブをベースにしたBénédictineという蒸留酒を造っていたことでも知られており、今でも当時の製法を遵守したリキュールを製造している。試飲も兼ねたツアーが建築物としても素晴らしい蒸留施設で実施されているので、機会があれば是非訪れてみて欲しい。

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~Palais Bénédictine~

話が少し逸れたが、現在のゴシック建築が着工されたのは1318年、1339年には内陣の完成を見るが百年戦争の影響により建設のペースは鈍化、外陣が完成したのは15世紀の後半のことであった。

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~交差部の中央塔~

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~交差部~

天井高33m、全長134mと非常に巨大で、ルーアン大聖堂(天井高28m、全長137m)と比べても、どちらが大聖堂か見紛う位の規模だ。交差部にある中央塔は「ノルマンディーの王冠」と呼ばれるフランボワイアン様式の傑作で、82mの高さを誇る。西正面も大変美しいが、これは19世紀半ばの建設されたネオゴシック様式。

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~ネオゴシックの西正面~

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~拡大部分~

サントゥアン教会堂の建築上の斬新さはその外観に見られる。まずは、以下主要ゴシック大聖堂のフライングバットレスの写真を見て欲しい。

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~(左上から時計回りに)シャルトル、ランス、ブールジェ、アミアン~

お気付きの通り、通常フライングバットレスは上下二段となっており、上段は屋根に掛かる風の横圧力を受け、下段が建物自体の自重、外に倒れようとする力を支える役目を担っている。ところが、以下、サントゥアン教会堂外陣のフライングバットレスは中間も位置に一つあるだけだ。

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~一つしかないフライングバットレス~

つまり、風の横圧力と自重の二つの力を一つのバットレスで支えていることになる。いつも参照させて頂く、ロバートマーク氏の解析によれば、側廊屋根部分に構造以上の力が掛かっているとのことで、実際のその部分を確かめてみると亀裂が見かれ、定期的に石材の交換が行われているようだが、それでも、ゴシック様式の頂点とも言われるアミアンやボーヴェにおいても実施されなかった斬新な発想がサントゥアン教会堂で試みられ、現在でも未だその役目を果たしているという事実には驚かされる。

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~後陣のフライングバットレス、他のゴシック建築同様、上下二段となっている~

また面白いのは、建設当初に手掛けられた後陣のフライングバットレスは上下二段になっていることだ。最初に試して問題が発生したから元に戻したのではなく、建設の途中で大胆な実験を試みた、ということで、これこそがゴシックの精神なのだろうと思う。

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~身廊、アミアン大聖堂を彷彿させる垂直性~

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~交差部から内陣を見る、円柱が天井迄遮ることなく伸びる~

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~高いアーケードとステンドグラス化されたトリフォリウム~

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~非常に明るい堂内~

堂内に入っても、斬新な構造に接することができる。身廊側面のアーケードが非常に高く、細い円柱と共に、垂直性が強調されている。また、トリフォリウムがステンドグラス化し、大変明るい堂内となっている。垂直性、光、いずれもゴシック建築が目指したものだ。

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~内陣高窓層のステンドグラス~

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~交差部と内陣のアーケードの高低差~

窓には14、15世紀のステンドグラスが数多く嵌め込まれている。

ここルーアンには、今迄にご紹介したルーアン大聖堂、フランボワイアン様式の傑作であるサン・マクルー教会と共に、今回のサントゥアン教会堂と、数多くの素晴らしいゴシック建築が存在する。また改めてゆっくり鑑賞に訪れたい。

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聖ローレンツ教会(ドイツ、ニュルンベルク)

クリスマス前に少し休暇を取り、ドイツに行ってきた。

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~ニュルンゲルクのクリスマスマーケット~

今回は、ニュルンベルク、レーゲンスブルク、ウルムを回ってきた。勿論目的はゴシック建築を見に行くことで、当初は、ウルムの代わりにフライブルクに行く予定だったが、直前にフライブルク大聖堂が大規模修復工事を行っており、美しい尖塔が殆ど見られないことが判明、既に何度か行ったことはあるものの、最も好きな大聖堂の一つがあるウルムに変更した。

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~クリスマスマーケットのある中央広場に面したフラウエン教会~

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~クリスマスマーケットの屋台~

ゴシック建築見学が第一の目的ではあるものの、これは私のみで、家族の目的はクリスマスマーケット巡り。幸い、今回訪問した町では全て魅力的なクリスマスマーケットが開催される。木組みの小屋が並び、可愛いクリスマスの飾りが売られている。グリューワインで体を温めながら美味しいソーセージを頬張り、どの飾りを買おうか、とお店を冷やかしながら歩くのは、大人であってもとても楽しいもので、短いながらも、日常を忘れ満喫した休暇を過ごすことが出来た。

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~可愛いらしい装飾が売られている~

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~美味しそうな屋台のソーセージ~

さて、お目当てのゴシック建築のご紹介だが、まずは初日に訪れたニュルンベルクから。ちなみに、ニュルンベルクのクリスマーケットは、ドレスデン、シュトゥットガルトと並び、ドイツの3大クリスマスマーケットとして有名で、ゴシックの教会や噴水塔のある中世の雰囲気漂う中央広場には、180もの屋台がぎっしり並び、世界各地からの観光客で一杯で、普通に歩くのにも苦労する程。ここの名物のニュルンベルガーソーセージは指の大きさ程の小さなものだが、これがびっくりする位美味しい。家族皆で何本も頬張ってしまった。

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~聖ローレンツ教会西正面、すっと伸びた2つの尖塔が美しい~

前置きはこれ位にして、ここには、いかにもドイツ式ゴシックと言える、聖ローレンツ教会(大聖堂ではない)がある。13世紀半ば頃に建設が開始され、1400年頃には身廊部分が完成した。その後、1439年、ホール形式の内陣部分の建設が始められ、1477年に献堂式が行われた。

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~外観~

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~西正面入口のタンパン彫刻~

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~尖塔を仰ぎ見る、いかにもドイツ・ゴシック~

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~薔薇窓と上部の切妻装飾~

西正面より順を追って見ていこう。これぞドイツ、というような堂々たる姿で、黒っぽい壁面に82mの二つの尖塔が天にすっと伸びる。簡素だが、垂直性を重視したその姿はドイツ・ゴシックの精神性を良く体現している。中央部分には、下から、繊細ながらも生き生きとした躍動感が感じられる素晴らしい入口タンパンの彫刻。その上には、薔薇窓層が乗るが、これが非常にユニークで、中央の内輪は堂内の薔薇窓をそのまま堂外に見せるが、その外円を石の彫刻による装飾が取り囲む。そして最上部には鋭角な三角形の切り妻装飾を頂く。ストラスブール大聖堂と似通ってはいるが、より無骨で、ゲルマンの大聖堂、という印象を見る者に与える。

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~堂内、身廊は暗く、内陣が明るいのが分かる~

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~外陣、アーケードと高窓層の間が壁面となっている~

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~外陣側廊、ここでも奥の内陣が明るいのが見て取れる~

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~翼廊から外陣を見る~

堂内に入ると、身廊と内陣の様式が大きく異なっており、二つの建築が翼廊で繋がったように感じる。身廊は教会建設の初期に造営されたもので、アーケードと高窓層の間が壁面で閉じられ、暗く重い印象を与える。

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~教会を側面から見る、外陣と内陣の規模の違いがはっきり分かる~

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~巨大かつ大胆な構造の後陣~

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~内陣から外陣を見る、開けた空間が奥の外陣では閉じているのが分かる~

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~内陣の周歩廊~

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~内陣天井、複雑なオジーブ~

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~ドイツの森を彷彿させる柱と天井~

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~明るさと鬱蒼さの共存~

これに対し、先に述べた、1439年に建設が始まったホール形式の二層構造の内陣は、二層式で明るく、広く、そして支える円柱はすっと細く、まるで南仏やスペインに見られるゴシック様式のようだが、天井は複雑な装飾オジーブで覆われ、冬の暗さも相俟ってか、ゴシックの象徴として例えられる、森の木々が上に向かって枝葉を広げ、空を覆い隠しているかのようで、ここでもドイツ的ゴシックを見ることが出来る。高さ、幅共に、内陣の方が外陣と比べはるかに巨大で、その違いは外から見るとよりはっきりと見て取れる。天井高はわずか24.2mとのことだが、視覚効果により、もっと高く見える。

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~側廊礼拝堂には様々な絵画や祭壇画が~

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~祭壇彫刻~

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~受胎告知のレリーフ~

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~レリーフ越しに天井を仰ぎ見る~

堂内には素晴らしい装飾彫刻が数多くあるが、特筆すべきは、受胎告知の天蓋彫刻とフランボワイアン様式の聖餐檀だ。天蓋彫刻は1517年にファイト・シュトースにより制作された巨大な木造彫刻(彫刻を囲む輪の大きさは何と3.7m x 3.2mもある)で、聖母マリアと天使ガブリエルの衣装の襞迄実に繊細に浮彫されている。

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~フランボワイアン様式の聖餐壇~

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~拡大したところ~

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~壇上部分~

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~こちらは土台部分~

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~仰ぎ見たところ~

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~非常に繊細な浮彫彫刻~

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~作者が作品を支える~

しかし、聖ローレンツ教会での最大の見所は何と言っても、15世紀終わりにアダム・クラフトにより制作された聖餐壇だろう。これ程繊細で美しく、均衡の取れたフランボワイアン装飾はフランスでもめったにお目に掛かることはできない。壇を支えるのは製作者のアダム・クラフト本人とその弟子達。自らの技量への誇りと自負が、彫刻の表情からも十分に伺える。

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~ステンドグラス(1)~

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~ステンドグラス(2)~

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~ステンドグラス(3)~

数は多くないが、15-16世紀のステンドグラス群もなかなか見事だ。

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~ライトアップ(1)~

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~ライトアップ(2)~

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~ライトアップ(3)~

夜のライトアップは控え目ではあるものの、それが却って、この簡素でドイツ的な建築物に相応しい光を当てており、冬の寒い夜空に時間が止まったかのように教会堂を浮かび上がらせていた。


ル・ランシー教会堂

ゴシック様式の最大の特徴の一つは壁面のステンドグラス化。様式の発展と共に、壁面における窓の占める面積が拡大していくのは、今迄様々なゴシック大聖堂でご紹介してきたところだが、現代の建築技術でこの特徴を追求した教会堂がパリ郊外のル・ランシー(Le Raincyと書く)という町に存在するのでご紹介したい。

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~ル・ランシー教会堂正面~

ル・ランシーの町は、パリの東北東20km弱のところにあり、セーヌ・サン・ドニ県に属する。あまりガラの良くない同県にしては瀟洒な町並みに感じるのは、その昔、ヴェルサイユ宮殿に匹敵する豪奢な城があったため。ルイ13世の財政担当官吏ジャック・ボルディエが、1640年に、ベネディクト会修道院の跡地にランシー城を建設するのだが、設計を任されたのは、フランスで最も美しいお城と評されるヴォー・ル・ヴィコント城を設計したルイ・ル・ヴォー。何と240ヘクタールの敷地に、200頭もの馬が入る厩舎を持っていたらしい。残念ながら、このランシー城は、ジャック・ボルディエの死後、人の手を転々と渡り、ついには、1819年プロシア軍により完全に破壊され、今は面影も無い。ただ、こうした歴史的背景からか、近現代になって、富裕層がこの地にこぞって邸宅を建てたから、貧困層の集合住宅が立ち並ぶ他の近郊の町とは異なり、落ち着いた町の佇まいとなっているようだ。

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~尖塔を見上げる~

さて、お目当てのル・ランシー教会堂、正式には、ノートルダム・デュ・ランシー教会堂と呼ばれるが、1922年に着工、翌年に献堂式が行われた。設計したのは、オーギュスト・ペレという建築家。鉄筋コンクリートによる建築を世に広めた、近代建築史上重要な人物で、かのコルビュジェも影響を受けたという。ベルギー人として生まれるが、父のフランス亡命に伴ってパリを居住の地とし、1913年に、初の鉄筋コンクリートによる作品となるシャンゼリゼ劇場を、パリのモンテーニュ通りに建設する。石材の代わりにコンクリートを用い、装飾性を廃したその外観は、素っ気無く厳しくもあり、世の人々をあっと言わせることになる。この次の大きな作品として彼が手掛けたのが、ル・ランシーのノートルダム教会だった。

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~入口広場の小さな花壇~

急激な人口増加に、より大きな教会堂が必要となった当時のル・ランシー主任司祭フェリックス・ネグル神父は、新しい教会の建設に係る見積もりを取るが、寄付を含めても非常に乏しい建設資金は、見積もりの僅か1/6にしか満たなかったらしい。そこで神父から相談を受けたペレは、安価で建築が可能な、コンクリートを素材に選ぶ。こうして1922年に、世界初の鉄筋コンクリートによる教会建設が着工、急ピッチで工事は進み、翌年1923年に献堂されることとなる。
幅20m、長さ56m、正面尖塔の高さ50mのル・ランシー教会堂は、ペレの作品らしく、外観は、アールデコ様式の装飾性を省いた簡素な造り。これだけでは、この教会堂が建築史上、有名ではあってもこれほど重要なものとはならなかったであろう。この建築作品が今でも多くの人々を惹き付けるのは、冒頭に書いたように、壁面全てがステンドグラス化していることによる。

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~入口から堂内を見る~

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~こちらは内陣から入口方向を見たところ~

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~天井が光の膜の上に乗っかっているよう~

学生時代、ヴィオレ・ル・デュックを読み耽ったペレはゴシック建築にも大いなる関心を示していた(建築を学ぶ者にとってゴシック建築を通過しない者など、いないろうが)。鉄筋コンクリートの使用により、自重を支える分厚い壁面や、フライングバットレスが必要となくなったことから、ペレは、ゴシック建築の重要な構成要素である壁面のステンドグラス化を、ここに実現しようと試みた。この大胆な実験が成功したかどうかは、堂内に足を一歩踏み入れれば一目瞭然に分かる。何と素晴らしい空間だろう。そこにあるものは壁ではなく、光の半透明の「膜」だ。天井が中空に浮かんでいるような錯覚にさえ陥る。

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祭壇後ろの深い青のステンドグラスの十字架~

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~仰ぎ見たところ~

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~すぐ真横のステンドグラス~

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~一つ一つは幾何学模様となっている~

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~最奥部から左側、青から赤へ~

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~段々と明るい色へと変化していく~

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~各々の壁面には十字が見て取れる~

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~そして入口横までいくと色彩は緑に~

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~こちらは右側側面、色彩が青から紫、オレンジへと変化していき~

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~黄色がかった明るい色になる

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~祭壇側から見る、明るい色への変化がより良く分かると思う~

勿論、この素晴らしい堂内を演出するのは、ペレの独創的な発想のみでなく、窓に嵌め込むステンドグラスを製作したマルグリット・ユエに負うところも大きい。最奥部、祭壇後ろに大胆な青を用いた十字架のステンドグラスを配し、これが入って左手の側面から入口に行くにつれて赤から緑に、反対の右手側は、紫、オレンジから黄色へと、徐々に色合いが変化していく。左右の側面は、それぞれ5つの連続する壁面が連なる形となっているが、一つ一つに祭壇後部と同様、色彩の異なる十字が配され、「光」の十字架により周りを取り囲まれているような印象を受ける。これほど迄に光に満たされた堂内空間はどこにも無いのではないだろうか。

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~祭壇に上る階段に光の反映が落ちる~

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~玉虫色の光の影~

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~赤と紫の光の反映が美しい~

身の丈のところにまでステンドグラスの壁が降りてきているので、陽射しを受け、堂内に映る光の影は、あるところでは、緑や赤の斑点となって床にふるえ、椅子や壁のところでは、角で砕け一層長い光の縞となって堂内に延びている。建築と光の見事な融合がそこにはあった。人もまばらな堂内で、ゆっくり座って見渡したり、歩き回っては近くや遠くからステンドグラスを眺めたりと、静かな、そして充実した一時を過ごすことができた。

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~光の縞が色彩を変化させながら延びる~

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~入口裏側、ステンドグラスを見ると良く分からないが、床に落ちた光を見ると緑色が見て取れる~

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~側面、ステンドグラス化した壁が良く分かる~

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~教会堂全景~

ちなみに、日本にいる人は、わざわざここル・ランシー迄足を運ばずとも、オーギュスト・ペレが地上に作り上げた作品がどのようなものなのか、東京でも体験することができる。ペレの弟子であるベドジフ・フォイエルシュタインとチェコの建築家アントニン・レーモンドが建設した、ル・ランシー教会堂の縮尺版と言える礼拝堂が、東京女子大学にあるので、興味があれば是非見に行って欲しい(私は写真でしか見たことがないが、本当にそっくりだ)。蛇足ながら、このル・ランシー教会堂は、歴史の浅い建築物ながら、その価値の高さにより、フランス歴史建造物に指定されている。また、ペレは、第二次大戦で廃墟と化したフランス・ノルマンディーの港町ル・アーブルの都市再建計画も手掛けており、こちらはユネスコ世界遺産にも指定されている。偉大な建築家だったんだなあ。

サグラダ・ファミリア聖堂

マヨルカ島を後にして再びバルセロナに戻ってきた。今日はサグラダ・ファミリア聖堂をご紹介するのだが、本当はマヨルカ島に行く前に見ていたものの、あまりに素晴らしく限られた時間内に全てを見ることが出来なかったので、バルセロナに戻ってきて、再度訪れたわけだ。

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~ライトアップされたサグラダ・ファミリア~

サグラダ・ファミリア、聖家族聖堂は今やバルセロナのシンボルともなっているので、説明するまでも無いと思う。アントニオ・ガウディが後半生、精魂傾けて建設に従事した聖堂だ。ここを最初に訪れたのは1986年、もう25年以上も前だが、当時は未完というにもさえ未だ程遠く、本当にほんの一部ができているだけで、完成するまでにあと150年はかかる、と言われていた。おぼろげにしか覚えていないが、当時は、建築費用は寄付のみで賄われており(入場料など無かったか、あってもほんの少しだったと思う)、遅々としてしか建設が進捗しない、ということだったと思う。ガウディが手がけた偉大な建築物の片鱗というだけの印象で、当時は、この場所に完成した聖堂がそびえる姿を想像することは難しかった。

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~全景~

ところが、今回来てみると、堂内には全て天井が架かり、内陣、外陣とも大部分が完成して、少なくとも堂内に入る(昔はそもそも”堂内”が存在しなかった)とちゃんと聖堂の体裁を整えているではないか。これは、その後ユネスコ世界遺産に指定され、観光地として大きく脚光を浴びるようになったことから、訪れる人が年々増え、入場料収入を中心として(今では何と13.5ユーロもする、それでも30分以上並ばないと入れない)、莫大な建築費用を賄えることとなったので、建築ピッチが大きく上がったということが要因なのだろうと思う。昔は平面の絵でしか完成像を見ることができなかったが、こうして実際に目の前に立ち上がる聖堂の姿を目にすると、あまりの素晴らしさ、そしてスケールの大きさに、ただただ呆然と見上げるばかりとなってしまう。聖堂の詳細は以下にてご紹介したいと思うが、これこそ、中世の息吹と現代の精神が見事に融合した、これからの歴史にもずっと残る偉大な建築物なのだ、と思う。

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~東翼廊入口~

さて、サグラダ・ファミリアをご紹介する前に、ごく簡単にアントニオ・ガウディについて触れておきたい。ガウディは知らない人などいない、スペインのみならず、近代・現代に亘る世界で最も有名な建築家の一人だが、あの生命や本能を具現化したような数々の建築物そのもの以外には、あまり彼のことは知られていないのではないだろうか。ガウディが活躍したのは19世紀終わりから20世紀始めのバルセロナ、産業革命の恩恵を受け、また、カタルーニャ地方の首都としてマドリッドに対抗する形で町が急速に発展していった時期と重なる。バルセロナで万国博覧会が開催されたのも1888年のことだ。また、この時期、芸術の分野でも、「モデルニスモ」と呼ばれる、スペインにおけるアール・ヌーボー様式が誕生する。このような時代背景・環境の中でガウディは建築を学び、その才能を開花させていくことになる。

彼はバルセロナ建築学校で建築の基礎を学んだが、そこで教えられていたのは、今までも何度かご紹介させて頂いた、フランスの建築家ヴィオレ・ル・デュックの建築理論だった。彼はゴシック様式を建築の理想とし、パリのノートルダム大聖堂を始めとして数多くの中世教会建築を修復した人物で、ガウディも学生時代には彼の著作を愛読していたらしい。サグラダ・ファミリアを始め、ガウディの建築物にゴシック様式の影響が色濃く見られるのはこのためだ。実際、先般ご紹介したバルセロナ大聖堂西正面は19世紀に改築されたものだとお話したが、これのコンペにガウディは、中世ゴシックを忠実に再現した設計案を提出している(残念ながら案は落選してしまったが)。

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~ガウディの「バルセロナ大聖堂」改築設計案>

ただ、ガウディは決して中世のゴシック様式を模倣しようとしていたのではない。ヴィオレ・ル・デュックの理論、功績に対し批判的な視点を持ち、また、ゴシック建築の抱える限界(個人的には、無から作り上げる建築という芸術形式に限界といった概念があるのではなく、それはあくまで人それぞれが感じる感覚、感性の問題だと思うが)を感じ、これを乗り越えるものを生み出そうとしていた。この点が、ケルン大聖堂をご紹介した際にお話した、19世紀の欧米各国で流行した、単なる模倣としてのゴシック・リバイバル=ネオ・ゴシック様式と大きく異なるところで、ガウディはあくまで中世に芽生え、栄えたゴシックの生命を大切に維持しつつも、そこから新しいものを造り出そうと努力を重ねていったのである。

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~カサ・ビセンス、ガウディ初期の作品~

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~カサ・ミラ~

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~カサ・バトリョ~

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~拡大部分~

これに加え、もう一つ重要な要素は、スペインに根付くイスラムの影響だ。中世スペインが、イスラムの繊細な幾何学模様を、キリスト教芸術に融合させたムデハル様式という建築様式を発展させてきたことは今迄にもお話した通りだが、ガウディは若い頃からこのムデハル様式も積極的に自分の建築物に取り込んできた。そして年を経る毎に、ゴシック、モデルニスモ、ムデハルの各様式の特徴を自分なりに重ね合わせ、今迄誰も現出させたことのない、独特な建築物をバルセロナの町に生み出していくのである。

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~堂内交差部を見上げる~

その人生を賭けた課題の成果、集大成が、このサグラダ・ファミリアだ。先程も申し上げたように、今では、未完ならが、十分完成した時の姿を想像することが出来る。建設が着工されたのは1882年、書籍出版業者ボカベーリャが贖罪教会をこの地に建てることを願い当初は建築家ビリャールに設計を委ねることになった。ビリャールはネオ・ゴシック様式として教会を設計、地下聖堂の建設に着手したものの、現場での意見の対立により辞任、その後釜として、翌年1883年に第二代建築家に指名されたのがガウディだ。ガウディは建築を引き継ぐと、ビリャールの設計案を白紙にし、自らのゴシック理念をこの教会建築に実現させようとしていく。以降、交通事故で1926年に亡くなる迄、サグラダ・ファミリアの建設が彼のライフワークとなる。

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~交差部~

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~高く聳える円柱群~

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~身廊から側廊方向を見る~

完成図を見るまでもなく、現在の姿を見ただけでも、このサグラダ・ファミリアがとてつもなく巨大な聖堂であることが分かる。まず完成部分から見て行こう。天井高はなんと45m、これはゴシック史上最も高い天井を持つ未完のボーヴェ大聖堂に次ぐ高さで、ケルンやアミアン、またパルマ大聖堂らを凌ぐ高さだ。ここで注目に値するのは、外部にフライングバットレスが一切無いことだ。今迄も再三に亘りご説明してきた通り、フライングバットレスはゴシック建築の最も重要な要素の一つで、高い天井とこれから来る聖堂全体の自重及び天井に掛かる風の横圧力を外にうまく逃がすためのものだ。45mもの天井高を有するのに、何故崩れずに存在することが出来るのか。これがガウディが中世ゴシックを超えようと長年検討を重ねてきた成果で、堂内の柱を見れば良く分かるのだが、まず、身廊を支える大円柱が天井に向かうにつれ、若干内側に傾いている。柱を斜めにすることで掛かる重さを外に逃がしているのだ。

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~フライングバットレスに頼ることなく堂内で自重を分散させる工夫がなされている~

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~ダイナミックな堂内構造~

そして視覚的にもドラマチックなのが、円柱が天井に向かって、幾本にも枝分かれしていっていること。これにより自重を数本の柱に分散しているのだ。また、分散した枝は、側廊上部の巨大なトリビューンにも繋がり、ここでも自重や横圧力を逃がすことに成功している。こういった様々な創意工夫が、これだけ大規模な聖堂であるにも係らず、フライングバトレス無しでその重さを支えることを可能ならしめているのだ。ガウディはフライングバットレスについて、「松葉杖が必要な人間」と形容し、これを醜いと感じていた。個人的には、大聖堂の後陣に優雅に広がるフライングバットレスは視覚的に大変美しく、むしろ、ゴシック建築の特徴として残しておくべきだと思うのだが、ガウディの、曲線を多用した、生きているような建築には、あまり似つかわしくないのかも知れない。

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~翼廊部分~

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~交差部~

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~垂直感の強い円柱~

また、この天井に向かって枝分れしていく円柱も、ガウディが目指すゴシックの姿の一つで、下から見上げると、本当に鬱蒼とした森林の中にいるような感覚になる。ゴシックは森をイメージしたもの、というのは前にもお話したが、中世のゴシック建築のように天井迄一本の円柱が伸びるのではなく、こうして上に向かうにつれ、何本にも枝分かれしていく様は、正に森の中で巨大な木々を見上げるようだ。また、天井には無数の採光口が開けられ、枝間から木漏れ日が差し込む様を演出する。

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~森林の中にいるかのような感覚になる~

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~木漏れ日が木の幹に揺らめくよう~

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~円柱の色合いの違いが分かるだろうか~

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~鬱蒼とした森林を見上げる~

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~ステンドグラスの光が差し込む~

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~交差部を斜め方向から仰ぎ見る~

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~パイプオルガンにステンドグラスの虹彩が映る~

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~巨大な木が聳えるよう~

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~側廊のステンドグラス~

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~内陣と採光塔、まるで天から光が降りてくるよう~

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~側廊のステンドグラス~

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~円柱に映る緑色のステンドグラスの光~

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~床に落ちる虹彩~

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~天の光!~

この広大な空間でありながら神秘的な雰囲気をもたらす堂内を何と表現すれば良いだろう。これこそ正しく中世の人々がゴシック様式に求めたものではないだろうか。柱毎に異なる石材を使用した円柱が微妙な色彩のコントラストを見せ、窓に嵌め込まれた、緑や黄、赤等の原色が鮮やかなステンドグラスが、色取り取りの光彩を柱に床に落としていく。森の中の、木々の幹のそれぞれの色合いや模様の違い、葉の緑の深さにより異なる足元に落ちる陽光の色彩の変化、それら全てがこの堂内には存在している。人工の建造物でありながら自然に抱かれているような感覚をもたらしてくれる、ガウディは1000年近くの時を隔てて、中世の人達がゴシック大聖堂に見た想いをそのまま大切にしながら、新たなものとして、ここに見事に蘇らせている。

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~生誕のファサード~

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~中央のマリアへの戴冠の彫刻~

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~複雑・繊細な装飾彫刻~

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~ラッパを吹く天使たち~

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~外尾悦郎の手になるハープを奏でる天使~

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~円柱を支える陸ガメ、なんとも愛らしい~

あまりに長くなり過ぎてしまったので外観に目を向けよう。私達がよく目にする尖塔と、複雑・繊細な入口装飾は、翼廊入口に当たる。つまり、正面入口はまだ全く出来ていないのだ。東側(通常翼廊は南北に位置し、正面入口は西に存在するのだが、サグラダ・ファミリアでは、翼廊は東西に伸びている)が生誕のファサードと呼ばれる、ガウディが生前から手掛けていた聖堂の最も古い部分。ファサード一面、アールヌーボーのような、そしてイスラムの繊細な装飾のような、植物をモチーフにした複雑怪奇な文様で満たされており、まるで生命が宿っているかのようだ。実際のモデルを使って彫刻を彫ったという人物像も躍動感に溢れている。ちなみに、この生誕のファサードの人物像は、1978年以降、日本人の外尾悦郎という彫刻家が手掛けていることは周知の通りだ。このような歴史に残る偉大な建築物の創造に日本人が携わっているというのは同胞としてとても誇らしい気持ちになる。

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~受難のファサード~

反対側の西翼廊入口は受難のファサードと呼ばれ、若干デフォルメされた荒い肌の現在彫刻群が並ぶ。

東西翼廊にはそれぞれ四基の尖塔が聳え、一番高いものは107m。これに加え、正面となる南側ファサードには同じく四本の尖塔が並び、内陣部分にはこれも同じく四本の尖塔を周りに従えた、170mにもなる巨大な尖塔が聳えることになる。完成すれば合計17本もの尖塔を頂く、そして世界で最も高い教会建築となる。

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~ロサリオの礼拝堂~

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~繊細な薔薇の透かし彫り~

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~採光塔~

忘れるところだったが、東翼廊入口の左横に、ロサリオの礼拝堂と呼ばれる小礼拝堂がある。ガウディが自ら従事した、今のサグラダ・ファミリアでは数少ない部分の一つ。薔薇の繊細な透かし彫り彫刻が大変美しく、人物彫刻も表情豊かで見事だ。

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~東翼廊のライトアップ~

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~生誕のファサード~

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~公園の池に映る幻想的なサグラダ・ファミリア~

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~東翼廊を斜めから仰ぎ見る~

夕闇が降り、照明が灯されると、サグラダ・ファミリアは昼間とは全く違った姿を見せてくれる。スペインの雲一つない高い夜空に乳白色に輝く尖塔が映える。東翼廊入口の装飾彫刻群は妖しく蠢くようだ。また、入口前にある公園の池には、照明に照らし出されたファサードが逆さに映し出され、この幻想的なショーに見る者は、言葉も忘れぼうっと立ち尽くしている。

急ピッチで進む建設工事により、2026年には完成した姿を目にすることができるようだ。サグラダ・ファミリアを見ていると、ガウディという人間の凄さ、素晴らしさに驚嘆すると共に、一人の人間に出来ることの限界など何も無いということ、逆に言えば、志と努力さえあれば、何でも出来るという事を思い知らされる。私は死ぬまでに必ずサグラダ・ファミリアの完成した姿を見たいと思うし、それ迄に自分にしか出来ないことを諦めたりしないでやり遂げて行きたいと思う。

トゥールーズの教会堂群

ようやく、スペイン旅行の続き。最初は往路一泊したトゥールーズから。トゥールーズは言わずと知れた南仏最大の都市の一つで、近郊を含めると人口100万人を超えるフランス第五の都市だ。町の殆どの建築物がレンガで建てられていることから、「薔薇色の町」としても知られ、特に夕陽を浴びて町全体が真っ赤に燃え上がる様は大変美しい。

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~薔薇の町のシンボル、聖セルナン聖堂~

トゥールーズは中世の頃にはフランス南部一帯を治めるトゥールーズ王国として隆盛を極め、また、アルルを起点とする「サン・ジルの道」と呼ばれる、サンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路の一つの一大中継点として栄えたことから、数多くの巡礼者を収容できる教会堂の建設が渇望されたのは必然だった。このため、町なかには数多くの素晴らしい教会堂が存在する。

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~聖セルナン聖堂全景~

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~交差部尖塔を見上げる~

中でも最も有名なものが、ロマネスク建築中、最大規模を誇る聖セルナン聖堂だ。聖セルナンは250年に殉教したトゥールーズの初代司教で、聖セルナンの聖遺物を祭るための最初の教会堂が町の郊外に建設された。その後、同聖遺物を目当てに巡礼に訪れる信者が後を絶たず、現在の聖堂がある地に、より規模の大きな聖堂を建設することが11世紀後半に決定された。1080年に建設が開始、1096年には当時の教皇ウルバヌスII世により献堂されたが、大聖堂の大部分の建設が完了するのは12世紀の終わりであった。

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~身廊~

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~身廊アーケードはかなり高い~

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~中央採光塔を見上げる~

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~石柱の粗い石肌が簡素で美しい~

聖セルナン聖堂は、先程も述べたように、ロマネスク建築として桁外れに巨大で、全長115m、天井高21m、また、ロマネスク様式では非常に珍しい5廊式の身廊を有する。交差部の尖塔の高さは65mにも及ぶ。内部はロマネスク様式のため窓が小さくゴシックに比べ薄暗いが、粗い削りが剥き出しの薄紅石の柱が、明るい色合いを添える。また、内陣のフレスコ画も色彩豊かで大変素晴らしく、窓に嵌め込まれたステンドグラスは簡素な構図・色彩ながらとても美しい。

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~内陣のフレスコ画(1)~

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~内陣のフレスコ画(2)~

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~ステンドグラス(1)~

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~ステンドグラス(2)~

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~ステンドグラス(3)~

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~ステンドグラス(4)~

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~ステンドグラス(5)~

町の他の建築物と同様、煉瓦でできているが、聖セルナン聖堂は、無骨な外観のアルビ大聖堂と違い、簡素ながらも、中央尖塔がすっと空に伸びる様はとても美しい。

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~外陣から中央尖塔を見上げる~

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~ライトアップ(1)~

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~ライトアップ(2)~

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~ライトアップ(3)~

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~ライトアップ(4)~

ライトアップされた姿もまた格別で、紅色の白鳥が羽を広げ体を休めているかのように見える。

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~ジャコバン聖堂全景、2廊式聖堂であることが外観からも分かる~

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~フライングバットレスが無いため窓と窓との間の控え壁が分厚い~

これだけでもトゥールーズを訪れる価値は十分にあるのだが、先にも述べたように、この町にはまだ見るべき教会建築が沢山ある。特に、個人的には、聖セルナン聖堂より素晴らしいのみならず、南仏全体でも最も個性的なゴシック建築だと思っているのが、次にご紹介する、ジャコバン聖堂だ。これは、いわゆる南方ゴシックと呼ばれる形態を持つ教会堂群の一例で、非常にユニークな内部構造をしている。

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~堂内、二重身廊方式の構造~

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~内陣部分~

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~天井を見上げる、全く同じ2廊式なのが分かる~

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~細い円柱が上昇感を強調する~

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~Palmierと呼ばれる放射状に展開するリブヴォールト~

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~中央で堂内を分割する円柱~

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~Palmierの拡大部分~

南方ゴシックとは、フランス南西部とバルセロナを中心とするスペイン北東部、あるいはポルトガルのバターリャなどに見られる建築様式で、中央廊に対し、側廊天井が非常に高く設定され、上昇感を強調した構造になっている様式のものを言う。ジャコバン聖堂は、これの極端な、あるいはさらに洗練された例と言っても良く、天井の高さ、幅が同じ2つの身廊が並列して存在し、中央に円柱の列が規則正しく配置されている構造で、翼廊の無い長方形の平面構成を相俟って、眼前に遮るものの無い、広大な内部空間を現出させることに成功している。なかなか文字で表現することは難しいが、堂内に立った時の印象は圧倒的で、まるで体育館か工場のような、側面が天井迄垂直に伸びる壁面で区切られた、長方形の広大な空間の中央に、細い円柱が規則正しく並び天へと伸び上がる様には思わず言葉を失ってしまう。内陣先端部分のPalmier(椰子の木)と呼ばれる、高さ28mにも及ぶ円柱の先からいくつにも枝分かれする深紅のリブヴォールトはまさに南国の木の枝葉のよう。日差しの眩しい南仏の聖堂に相応しい。天井の高いゴシック建築は数多くあるが、アミアンやボーヴェと言えども、一本の円柱が高さ28mにも達することは無く、ゴシック建築中、堂内を支える円柱で最も高いものとなっている。

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~ステンドグラス(1)~

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~ステンドグラス(2)~

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~ステンドグラス(3)~

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~ステンドグラス(4)~

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~回廊(1)~

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~回廊(2)~

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~回廊(3)~

また、深緑、赤、乳白色のコントラストが見事な壁面の柱や、深い赤を基調としたステンドグラスも、この独特な聖堂にさらに一層の個性を添えている。聖堂北側にある回廊も開放感があり素晴らしい。

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~聖エティエンヌ大聖堂西正面~

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~ロマネスク様式の身廊からゴシック様式の内陣を見る、堂内の軸がずれているのが分かる~

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~こちらは内陣から身廊方向を見たところ~

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~ゴシックの内陣~

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~ステンドグラス(1)

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~ステンドグラス(2)~

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~ステンドグラス(3)~

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~翼廊、主廊が側廊に完全に開放されている~

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~翼廊部分~

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~周歩廊礼拝堂の一つ~

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~翼廊と内陣部分~

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~巨大な煉瓦のフライングバットレス~

上記でご紹介した2つの聖堂はいずれも大聖堂(Cathédrale)ではなく、聖エティエンヌ大聖堂という名の大聖堂がちゃんと存在する。こちらも非常にユニークな形の大聖堂で、身廊部分は天井の非常に低いロマネスク様式で建てられ、翼廊から内陣にかけてはゴシック様式で造られている。また、内陣の軸が身廊下の軸からかなり外れており、入口から内陣方向を見ると斜めに立たないと奥が見えない構造になっている。身廊部分は特に特徴は無いが、翼廊・内陣の構成は非常に面白く、翼廊のところの周歩廊部分の壁面が内陣に完全に開放されており、側面に対し大きく視界が開けている。また、内陣外部の煉瓦でできた非常に大きなフライングバットレスも印象的だ。

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~ノートルダム・ド・ダルバード聖堂西正面~

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~珍しい陶器のタンパン装飾~

もう一つ、規模は小さいが、ノートルダム・ド・ダルバード聖堂も、西正面入口タンパンに陶器でできた色鮮やかな装飾が施されている。

ここまでの規模の町で、これだけ統一された色彩で構成されている町は恐らく無いのではないだろうか。また夏の暑い日に訪れてみたいと思う。


プロフィール

クータンス

Author:クータンス
学生時代からフランスとゴシックの大聖堂に魅せられ、紆余曲折の人生を歩んだ結果、フランス永住の道を選択しました。
ここでは、フランスを中心としたゴシックの大聖堂を紹介したいと思いますが、フランスでは夜になると大聖堂は勿論のこと、殆どの歴史建造物がライトアップされます。また、単なるライトアップのみではなく、いくつかの大聖堂では、素晴らしい光のスペクタクルを見せてくれるところもあります。こういった大聖堂の写真も一緒に載せていきたいと思います。

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