スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ミラフローレス修道院(スペイン、ブルゴス)

スペインのゴシック様式は、その建築構造よりも、装飾や祭壇彫刻等、細部に独自性や美しさが見られることは、今までスペインのゴシック建築をご紹介する中で説明をさせて頂いたが、ブルゴス郊外にあるミラフローレス修道院は、小規模ながら、スペインゴシックの典型ということができると思う。

3DSC04178.jpg
~ミラフローレス修道院~

ブルゴスは、マドリッドの北にあたるカスティーリャ・イ・レオン州ブルゴス県の県庁所在地で、ブルゴス大聖堂は以前少しご紹介させて頂いた通り(http://coutances.blog62.fc2.com/blog-date-201001.html)、ユネスコ世界遺産にも登録されているスペイン三大大聖堂の一つ。これを見るだけでもブルゴスに立ち寄る価値は十分あるのだが、時間があれば、市内から東に4km程のところにあるミラフローレス修道院にも是非足を伸ばして欲しい。

ミラフローレス修道院は、カルトゥジオ修道会に属する修道院で、正式には、Cartuja de Santa María de Mirafloresと呼ばれる。起源は、カスティーリャ王国のフアン2世が1442年にミラフローレスの宮殿を修道会に寄贈したことに遡る。10年後、建物は火災にあい消失、ブルゴス大聖堂を設計、建築を主導したJuan de Colonia(Coloniaはドイツのケルンを指し、ドイツ最大のゴシック大聖堂のあるケルンから呼び寄せた建築家)に新しい修道院の設計が任されることになる。フアン2世の死去により建設は一時中断され、完成を見たのは、夫フェルナンドと共にカトリック両王と称されたイザベル女王治世下の1488年のことであった。

3DSC04180.jpg
~単廊式のゴシック聖堂の最奥部に大変繊細な木造と石材の彫刻がある~

現在でも修道士が生活を送る修道院は、単廊式の質素な造りだが、見どころは、オランダ出身の彫刻家ジル・デ・シロエの手になる、最奥部にある祭壇彫刻とフランボワイアン・ゴシック様式によるフアン2世と2番目の王妃イザベル・デ・ポルトガル(イザベル女王の母)の棺とイザベル女王と同母弟のアルフォンソ・デ・カスティーリャのお墓。

3DSC04182.jpg
~祭壇彫刻~

3DSC04185.jpg
~祭壇彫刻を前より見上げる~

まずは祭壇彫刻から見ていこう。1496-99年に制作され、アメリカ新大陸発見後最初に運ばれた金により金箔が施されている。中央には天使達が形作る輪の中に磔刑のキリストが生々しい姿で一段浮き上がり、輪の外側には四福音書記者を表す獅子、牛、鷲、人が取り囲んでいる。下部には聖母マリアと聖ヨハネが配置されている。極彩色な配色は決して華美に過ぎず繊細さを際立たせることに成功しており、正にスペイン・ゴシックの祭壇彫刻の傑作の一つに数えられるものと思う。

3DSC04188.jpg
~拡大図~

3DSC04215.jpg
~中央のキリスト磔刑~

3DSC04194.jpg
~右側から仰ぎ見る~

3DSC04200.jpg
~祭壇下部左側~

3DSC04197.jpg
~こちらは右側~

その前にはフアン2世とイザベル・デ・ポルトガルのお墓が鎮座している。八角形の星の形の台座の上に、両名の寝姿の彫刻が置かれている。周囲には動物や天使、植物、あるいはフランボワイアン特有の火炎状の繊細な模様が浮彫されている。

3DSC04201.jpg
~獅子とその奥にとイザベル・デ・ポルトガルの彫刻~

3DSC04227.jpg
~大変繊細な彫刻なのが良く分かる~

3DSC04193.jpg
~フアン2世~

3DSC04226.jpg
~正面、葡萄の装飾が施されているのが見える~

3DSC04196.jpg
~獅子と聖人~

3DSC04192.jpg
~繊細なフランボワイアン様式の彫刻(1)~

3DSC04203.jpg
~繊細なフランボワイアン様式の彫刻(2)~

3DSC04204.jpg
~繊細なフランボワイアン様式の彫刻(3)~

3DSC04221.jpg
~聖母マリアが幼子イエスに授乳している、微笑ましい彫刻~

祭壇に向かって左側には14歳という若さで病死したアルフォンソ・デ・カスティーリャのお墓。こちらも非常に繊細な浮彫装飾の傑作。

3DSC04205.jpg
~アルフォンソ・デ・カスティーリャのお墓~

3DSC04209.jpg
~上部を縁取るフランボワイアンの繊細な浮彫~

3DSC04210.jpg
~アルフォンソ・デ・カスティーリャ~

3DSC04219.jpg
~背後から見たところ、浮彫の影がくっきりと映し出される~

規模は小さいながらも、これぞスペイン・ゴシックといった、大変見どころの多い素晴らしい修道院だった。是非また再訪しゆっくり鑑賞したいと思う。

スポンサーサイト

シャガールのステンドグラス(Sarrebourg)

パリの東約450km、ストラスブールのほんの手前にSarrebourgという、人口千人にも満たないほんの小さな町がある。この町にChapelle des Cordeliersという13世紀に建てられたゴシック様式のとても小さな礼拝堂があるが、この礼拝堂の中に、シャガールの最大のステンドグラスが嵌め込まれているので見に行ってきた。

wDSC04260.jpg

礼拝堂の中に入ると、西壁面一面を満たすシャガールのステンドグラスを通して堂内に満たされる、赤、青、緑の光の洪水に圧倒される。1976年にデザインが仕上げられ(素描はニースのシャガール美術館で見ることが出来る)、ランス大聖堂のシャガールのステンドグラスを手掛けたステンドグラス作家のシャルル・マルクが作成を担当した。

wDSC04258.jpg

中心には、アダムとイブを囲むように生命の木が描かれ、赤い花が鮮やかに開いている。

wDSC04254.jpg

wDSC04267.jpg

右下にはアブラハムと三人の天使が、

wDSC04235.jpg

左下にはイエスのエルサレム入城が主題として描かれる。

wDSC04253.jpg

また、堂内東端にもシャガールのデザインによる淡い青を基調としたステンドグラスが嵌め込まれている。

wDSC04245.jpg

wDSC04271.jpg

外から見ると何の変哲もない小さな礼拝堂。だが堂内に入れば虹色の光に満たされた空間が待っている。このためだけにここまで来るのはなかなか難しいかも知れないが、ストラスブールやメス、ナンシーへの旅行の途中で時間があれば是非立ち寄って見て欲しい。

サントゥアン教会堂(ルーアン)

DSC01792-2.jpg
~サントゥアン教会堂西正面~

ゴシック建築は、シャルトル、ランス、アミアンの所謂古典ゴシックの流れの中で、天井は高く、フライングバットレスは軽快に、柱は細く垂直性が強調され、様式を特徴付ける構造がより洗練されたものへと発展し、1272年に内陣が献堂されたボーヴェ大聖堂においてその頂点を迎える。その天井高は48mにも及ぶが、1284年に一部が崩壊、その後修復・建設が再開、157mの中央尖塔が完成(1573年に倒壊)するも、その後は100年戦争による経済の疲弊もあり、構造に対する実験精神は衰退し、フランボワイアン様式のような細部の装飾に目が向かっていくことになるのだが、一部ではその精神は受け継がれ、新たな挑戦が行われていった。スペインのパルマ大聖堂や、ポルトガルのバターリャ修道院付属礼拝堂等、南方ゴシックの開花がその例の一つだが、ゴシックの揺り籠となったイル・ド・フランスのすぐお膝元であるノルマンディーでも、斬新な実験精神の跡が見られる。それが、今日ご紹介するルーアンのサントゥアン教会堂だ。

DSC01743-2.jpg
~後陣、見事なレイヨナン様式~

正式名称はEglise abbatiale de St Ouenといい、修道院付属の教会堂だが、ノルマンディー地方で最も勢力を誇っていたベネディクト派に属する。ちなみにこのベネディクト派修道院は、ノルマンディー港町Fécamp(フェカン)で27種のハーブをベースにしたBénédictineという蒸留酒を造っていたことでも知られており、今でも当時の製法を遵守したリキュールを製造している。試飲も兼ねたツアーが建築物としても素晴らしい蒸留施設で実施されているので、機会があれば是非訪れてみて欲しい。

DSC00903.jpg
~Palais Bénédictine~

話が少し逸れたが、現在のゴシック建築が着工されたのは1318年、1339年には内陣の完成を見るが百年戦争の影響により建設のペースは鈍化、外陣が完成したのは15世紀の後半のことであった。

DSC01785-2.jpg
~交差部の中央塔~

DSC01756-2.jpg
~交差部~

天井高33m、全長134mと非常に巨大で、ルーアン大聖堂(天井高28m、全長137m)と比べても、どちらが大聖堂か見紛う位の規模だ。交差部にある中央塔は「ノルマンディーの王冠」と呼ばれるフランボワイアン様式の傑作で、82mの高さを誇る。西正面も大変美しいが、これは19世紀半ばの建設されたネオゴシック様式。

DSC01795-2.jpg
~ネオゴシックの西正面~

DSC01796-2.jpg
~拡大部分~

サントゥアン教会堂の建築上の斬新さはその外観に見られる。まずは、以下主要ゴシック大聖堂のフライングバットレスの写真を見て欲しい。

DSC02464a.jpgDSC05268a.jpg
DSC015721.jpgDSC07601a.jpg
~(左上から時計回りに)シャルトル、ランス、ブールジェ、アミアン~

お気付きの通り、通常フライングバットレスは上下二段となっており、上段は屋根に掛かる風の横圧力を受け、下段が建物自体の自重、外に倒れようとする力を支える役目を担っている。ところが、以下、サントゥアン教会堂外陣のフライングバットレスは中間も位置に一つあるだけだ。

DSC01783-2.jpg
~一つしかないフライングバットレス~

つまり、風の横圧力と自重の二つの力を一つのバットレスで支えていることになる。いつも参照させて頂く、ロバートマーク氏の解析によれば、側廊屋根部分に構造以上の力が掛かっているとのことで、実際のその部分を確かめてみると亀裂が見かれ、定期的に石材の交換が行われているようだが、それでも、ゴシック様式の頂点とも言われるアミアンやボーヴェにおいても実施されなかった斬新な発想がサントゥアン教会堂で試みられ、現在でも未だその役目を果たしているという事実には驚かされる。

DSC01746-2.jpg
~後陣のフライングバットレス、他のゴシック建築同様、上下二段となっている~

また面白いのは、建設当初に手掛けられた後陣のフライングバットレスは上下二段になっていることだ。最初に試して問題が発生したから元に戻したのではなく、建設の途中で大胆な実験を試みた、ということで、これこそがゴシックの精神なのだろうと思う。

DSC01749-2.jpg
~身廊、アミアン大聖堂を彷彿させる垂直性~

DSC01754-2.jpg
~交差部から内陣を見る、円柱が天井迄遮ることなく伸びる~

DSC01758-2.jpg
~高いアーケードとステンドグラス化されたトリフォリウム~

DSC01772-2.jpg
~非常に明るい堂内~

堂内に入っても、斬新な構造に接することができる。身廊側面のアーケードが非常に高く、細い円柱と共に、垂直性が強調されている。また、トリフォリウムがステンドグラス化し、大変明るい堂内となっている。垂直性、光、いずれもゴシック建築が目指したものだ。

DSC01763-2.jpg
~内陣高窓層のステンドグラス~

DSC01759-2.jpg
~交差部と内陣のアーケードの高低差~

窓には14、15世紀のステンドグラスが数多く嵌め込まれている。

ここルーアンには、今迄にご紹介したルーアン大聖堂、フランボワイアン様式の傑作であるサン・マクルー教会と共に、今回のサントゥアン教会堂と、数多くの素晴らしいゴシック建築が存在する。また改めてゆっくり鑑賞に訪れたい。

聖ローレンツ教会(ドイツ、ニュルンベルク)

クリスマス前に少し休暇を取り、ドイツに行ってきた。

DSC07703-.jpg
~ニュルンゲルクのクリスマスマーケット~

今回は、ニュルンベルク、レーゲンスブルク、ウルムを回ってきた。勿論目的はゴシック建築を見に行くことで、当初は、ウルムの代わりにフライブルクに行く予定だったが、直前にフライブルク大聖堂が大規模修復工事を行っており、美しい尖塔が殆ど見られないことが判明、既に何度か行ったことはあるものの、最も好きな大聖堂の一つがあるウルムに変更した。

DSC07713-.jpg
~クリスマスマーケットのある中央広場に面したフラウエン教会~

065.jpg
~クリスマスマーケットの屋台~

ゴシック建築見学が第一の目的ではあるものの、これは私のみで、家族の目的はクリスマスマーケット巡り。幸い、今回訪問した町では全て魅力的なクリスマスマーケットが開催される。木組みの小屋が並び、可愛いクリスマスの飾りが売られている。グリューワインで体を温めながら美味しいソーセージを頬張り、どの飾りを買おうか、とお店を冷やかしながら歩くのは、大人であってもとても楽しいもので、短いながらも、日常を忘れ満喫した休暇を過ごすことが出来た。

053.jpg
~可愛いらしい装飾が売られている~

055.jpg
~美味しそうな屋台のソーセージ~

さて、お目当てのゴシック建築のご紹介だが、まずは初日に訪れたニュルンベルクから。ちなみに、ニュルンベルクのクリスマーケットは、ドレスデン、シュトゥットガルトと並び、ドイツの3大クリスマスマーケットとして有名で、ゴシックの教会や噴水塔のある中世の雰囲気漂う中央広場には、180もの屋台がぎっしり並び、世界各地からの観光客で一杯で、普通に歩くのにも苦労する程。ここの名物のニュルンベルガーソーセージは指の大きさ程の小さなものだが、これがびっくりする位美味しい。家族皆で何本も頬張ってしまった。

DSC07737-1.jpg
~聖ローレンツ教会西正面、すっと伸びた2つの尖塔が美しい~

前置きはこれ位にして、ここには、いかにもドイツ式ゴシックと言える、聖ローレンツ教会(大聖堂ではない)がある。13世紀半ば頃に建設が開始され、1400年頃には身廊部分が完成した。その後、1439年、ホール形式の内陣部分の建設が始められ、1477年に献堂式が行われた。

DSC07730-1.jpg
~外観~

DSC07743-1.jpg
~西正面入口のタンパン彫刻~

DSC07728-1.jpg
~尖塔を仰ぎ見る、いかにもドイツ・ゴシック~

DSC07733-1.jpg
~薔薇窓と上部の切妻装飾~

西正面より順を追って見ていこう。これぞドイツ、というような堂々たる姿で、黒っぽい壁面に82mの二つの尖塔が天にすっと伸びる。簡素だが、垂直性を重視したその姿はドイツ・ゴシックの精神性を良く体現している。中央部分には、下から、繊細ながらも生き生きとした躍動感が感じられる素晴らしい入口タンパンの彫刻。その上には、薔薇窓層が乗るが、これが非常にユニークで、中央の内輪は堂内の薔薇窓をそのまま堂外に見せるが、その外円を石の彫刻による装飾が取り囲む。そして最上部には鋭角な三角形の切り妻装飾を頂く。ストラスブール大聖堂と似通ってはいるが、より無骨で、ゲルマンの大聖堂、という印象を見る者に与える。

DSC07868-1.jpg
~堂内、身廊は暗く、内陣が明るいのが分かる~

DSC07789-1.jpg
~外陣、アーケードと高窓層の間が壁面となっている~

DSC07791-1.jpg
~外陣側廊、ここでも奥の内陣が明るいのが見て取れる~

DSC07853-1.jpg
~翼廊から外陣を見る~

堂内に入ると、身廊と内陣の様式が大きく異なっており、二つの建築が翼廊で繋がったように感じる。身廊は教会建設の初期に造営されたもので、アーケードと高窓層の間が壁面で閉じられ、暗く重い印象を与える。

DSC07787-1.jpg
~教会を側面から見る、外陣と内陣の規模の違いがはっきり分かる~

DSC07777-1.jpg
~巨大かつ大胆な構造の後陣~

DSC07850-1.jpg
~内陣から外陣を見る、開けた空間が奥の外陣では閉じているのが分かる~

DSC07821-1.jpg
~内陣の周歩廊~

DSC07838-1.jpg
~内陣天井、複雑なオジーブ~

DSC07827-1.jpg
~ドイツの森を彷彿させる柱と天井~

DSC07801-1.jpg
~明るさと鬱蒼さの共存~

これに対し、先に述べた、1439年に建設が始まったホール形式の二層構造の内陣は、二層式で明るく、広く、そして支える円柱はすっと細く、まるで南仏やスペインに見られるゴシック様式のようだが、天井は複雑な装飾オジーブで覆われ、冬の暗さも相俟ってか、ゴシックの象徴として例えられる、森の木々が上に向かって枝葉を広げ、空を覆い隠しているかのようで、ここでもドイツ的ゴシックを見ることが出来る。高さ、幅共に、内陣の方が外陣と比べはるかに巨大で、その違いは外から見るとよりはっきりと見て取れる。天井高はわずか24.2mとのことだが、視覚効果により、もっと高く見える。

DSC07795-1.jpg
~側廊礼拝堂には様々な絵画や祭壇画が~

DSC07796-1.jpg
~祭壇彫刻~

DSC07803-1.jpg
~受胎告知のレリーフ~

DSC07807-1.jpg
~レリーフ越しに天井を仰ぎ見る~

堂内には素晴らしい装飾彫刻が数多くあるが、特筆すべきは、受胎告知の天蓋彫刻とフランボワイアン様式の聖餐檀だ。天蓋彫刻は1517年にファイト・シュトースにより制作された巨大な木造彫刻(彫刻を囲む輪の大きさは何と3.7m x 3.2mもある)で、聖母マリアと天使ガブリエルの衣装の襞迄実に繊細に浮彫されている。

DSC07809-1.jpg
~フランボワイアン様式の聖餐壇~

DSC07811-1.jpg
~拡大したところ~

DSC07813-1.jpg
~壇上部分~

DSC07814-1.jpg
~こちらは土台部分~

DSC07861-1.jpg
~仰ぎ見たところ~

DSC07846-1.jpg
~非常に繊細な浮彫彫刻~

DSC07847-1.jpg
~作者が作品を支える~

しかし、聖ローレンツ教会での最大の見所は何と言っても、15世紀終わりにアダム・クラフトにより制作された聖餐壇だろう。これ程繊細で美しく、均衡の取れたフランボワイアン装飾はフランスでもめったにお目に掛かることはできない。壇を支えるのは製作者のアダム・クラフト本人とその弟子達。自らの技量への誇りと自負が、彫刻の表情からも十分に伺える。

DSC07832-1.jpg
~ステンドグラス(1)~

DSC07841-1.jpg
~ステンドグラス(2)~

DSC07845-1.jpg
~ステンドグラス(3)~

数は多くないが、15-16世紀のステンドグラス群もなかなか見事だ。

DSC07716-1.jpg
~ライトアップ(1)~

DSC07718-1.jpg
~ライトアップ(2)~

DSC07724-1.jpg
~ライトアップ(3)~

夜のライトアップは控え目ではあるものの、それが却って、この簡素でドイツ的な建築物に相応しい光を当てており、冬の寒い夜空に時間が止まったかのように教会堂を浮かび上がらせていた。


ル・ランシー教会堂

ゴシック様式の最大の特徴の一つは壁面のステンドグラス化。様式の発展と共に、壁面における窓の占める面積が拡大していくのは、今迄様々なゴシック大聖堂でご紹介してきたところだが、現代の建築技術でこの特徴を追求した教会堂がパリ郊外のル・ランシー(Le Raincyと書く)という町に存在するのでご紹介したい。

DSC02714(a).jpg
~ル・ランシー教会堂正面~

ル・ランシーの町は、パリの東北東20km弱のところにあり、セーヌ・サン・ドニ県に属する。あまりガラの良くない同県にしては瀟洒な町並みに感じるのは、その昔、ヴェルサイユ宮殿に匹敵する豪奢な城があったため。ルイ13世の財政担当官吏ジャック・ボルディエが、1640年に、ベネディクト会修道院の跡地にランシー城を建設するのだが、設計を任されたのは、フランスで最も美しいお城と評されるヴォー・ル・ヴィコント城を設計したルイ・ル・ヴォー。何と240ヘクタールの敷地に、200頭もの馬が入る厩舎を持っていたらしい。残念ながら、このランシー城は、ジャック・ボルディエの死後、人の手を転々と渡り、ついには、1819年プロシア軍により完全に破壊され、今は面影も無い。ただ、こうした歴史的背景からか、近現代になって、富裕層がこの地にこぞって邸宅を建てたから、貧困層の集合住宅が立ち並ぶ他の近郊の町とは異なり、落ち着いた町の佇まいとなっているようだ。

DSC02569a).jpg
~尖塔を見上げる~

さて、お目当てのル・ランシー教会堂、正式には、ノートルダム・デュ・ランシー教会堂と呼ばれるが、1922年に着工、翌年に献堂式が行われた。設計したのは、オーギュスト・ペレという建築家。鉄筋コンクリートによる建築を世に広めた、近代建築史上重要な人物で、かのコルビュジェも影響を受けたという。ベルギー人として生まれるが、父のフランス亡命に伴ってパリを居住の地とし、1913年に、初の鉄筋コンクリートによる作品となるシャンゼリゼ劇場を、パリのモンテーニュ通りに建設する。石材の代わりにコンクリートを用い、装飾性を廃したその外観は、素っ気無く厳しくもあり、世の人々をあっと言わせることになる。この次の大きな作品として彼が手掛けたのが、ル・ランシーのノートルダム教会だった。

DSC02566.jpg
~入口広場の小さな花壇~

急激な人口増加に、より大きな教会堂が必要となった当時のル・ランシー主任司祭フェリックス・ネグル神父は、新しい教会の建設に係る見積もりを取るが、寄付を含めても非常に乏しい建設資金は、見積もりの僅か1/6にしか満たなかったらしい。そこで神父から相談を受けたペレは、安価で建築が可能な、コンクリートを素材に選ぶ。こうして1922年に、世界初の鉄筋コンクリートによる教会建設が着工、急ピッチで工事は進み、翌年1923年に献堂されることとなる。
幅20m、長さ56m、正面尖塔の高さ50mのル・ランシー教会堂は、ペレの作品らしく、外観は、アールデコ様式の装飾性を省いた簡素な造り。これだけでは、この教会堂が建築史上、有名ではあってもこれほど重要なものとはならなかったであろう。この建築作品が今でも多くの人々を惹き付けるのは、冒頭に書いたように、壁面全てがステンドグラス化していることによる。

DSC02570(a).jpg
~入口から堂内を見る~

DSC02628(a).jpg
~こちらは内陣から入口方向を見たところ~

DSC02629(a).jpg
~天井が光の膜の上に乗っかっているよう~

学生時代、ヴィオレ・ル・デュックを読み耽ったペレはゴシック建築にも大いなる関心を示していた(建築を学ぶ者にとってゴシック建築を通過しない者など、いないろうが)。鉄筋コンクリートの使用により、自重を支える分厚い壁面や、フライングバットレスが必要となくなったことから、ペレは、ゴシック建築の重要な構成要素である壁面のステンドグラス化を、ここに実現しようと試みた。この大胆な実験が成功したかどうかは、堂内に足を一歩踏み入れれば一目瞭然に分かる。何と素晴らしい空間だろう。そこにあるものは壁ではなく、光の半透明の「膜」だ。天井が中空に浮かんでいるような錯覚にさえ陥る。

DSC02575(a).jpg
祭壇後ろの深い青のステンドグラスの十字架~

DSC02598(a).jpg
~仰ぎ見たところ~

DSC02602(a).jpg
~すぐ真横のステンドグラス~

DSC02599(a).jpg
~一つ一つは幾何学模様となっている~

DSC02669(a).jpg
~最奥部から左側、青から赤へ~

DSC02605(a).jpg
~段々と明るい色へと変化していく~

DSC02673(a).jpg
~各々の壁面には十字が見て取れる~

DSC02689(a).jpg
~そして入口横までいくと色彩は緑に~

DSC02620(a).jpg
~こちらは右側側面、色彩が青から紫、オレンジへと変化していき~

DSC02698(a).jpg
~黄色がかった明るい色になる

DSC02621(a).jpg
~祭壇側から見る、明るい色への変化がより良く分かると思う~

勿論、この素晴らしい堂内を演出するのは、ペレの独創的な発想のみでなく、窓に嵌め込むステンドグラスを製作したマルグリット・ユエに負うところも大きい。最奥部、祭壇後ろに大胆な青を用いた十字架のステンドグラスを配し、これが入って左手の側面から入口に行くにつれて赤から緑に、反対の右手側は、紫、オレンジから黄色へと、徐々に色合いが変化していく。左右の側面は、それぞれ5つの連続する壁面が連なる形となっているが、一つ一つに祭壇後部と同様、色彩の異なる十字が配され、「光」の十字架により周りを取り囲まれているような印象を受ける。これほど迄に光に満たされた堂内空間はどこにも無いのではないだろうか。

DSC02581(a).jpg
~祭壇に上る階段に光の反映が落ちる~

DSC02608(a).jpg
~玉虫色の光の影~

DSC02613(a).jpg
~赤と紫の光の反映が美しい~

身の丈のところにまでステンドグラスの壁が降りてきているので、陽射しを受け、堂内に映る光の影は、あるところでは、緑や赤の斑点となって床にふるえ、椅子や壁のところでは、角で砕け一層長い光の縞となって堂内に延びている。建築と光の見事な融合がそこにはあった。人もまばらな堂内で、ゆっくり座って見渡したり、歩き回っては近くや遠くからステンドグラスを眺めたりと、静かな、そして充実した一時を過ごすことができた。

DSC02650(a).jpg
~光の縞が色彩を変化させながら延びる~

DSC02700(a).jpg
~入口裏側、ステンドグラスを見ると良く分からないが、床に落ちた光を見ると緑色が見て取れる~

DSC02717(a).jpg
~側面、ステンドグラス化した壁が良く分かる~

DSC02722(a).jpg
~教会堂全景~

ちなみに、日本にいる人は、わざわざここル・ランシー迄足を運ばずとも、オーギュスト・ペレが地上に作り上げた作品がどのようなものなのか、東京でも体験することができる。ペレの弟子であるベドジフ・フォイエルシュタインとチェコの建築家アントニン・レーモンドが建設した、ル・ランシー教会堂の縮尺版と言える礼拝堂が、東京女子大学にあるので、興味があれば是非見に行って欲しい(私は写真でしか見たことがないが、本当にそっくりだ)。蛇足ながら、このル・ランシー教会堂は、歴史の浅い建築物ながら、その価値の高さにより、フランス歴史建造物に指定されている。また、ペレは、第二次大戦で廃墟と化したフランス・ノルマンディーの港町ル・アーブルの都市再建計画も手掛けており、こちらはユネスコ世界遺産にも指定されている。偉大な建築家だったんだなあ。

プロフィール

クータンス

Author:クータンス
学生時代からフランスとゴシックの大聖堂に魅せられ、紆余曲折の人生を歩んだ結果、フランス永住の道を選択しました。
ここでは、フランスを中心としたゴシックの大聖堂を紹介したいと思いますが、フランスでは夜になると大聖堂は勿論のこと、殆どの歴史建造物がライトアップされます。また、単なるライトアップのみではなく、いくつかの大聖堂では、素晴らしい光のスペクタクルを見せてくれるところもあります。こういった大聖堂の写真も一緒に載せていきたいと思います。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。