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ポルトガル旅行(6)

ポルトガル旅行の最後はポルト。ポルトワインの産地として有名な町だが、歴史建造物も多く、市の中心部はユネスコの世界遺産にも指定されている。また、意外に知られていないが、ここポルトはポルトガル王国発祥の地であり、ポルトガルの名前はポルトから来ている。その他、フランスと歴史的に関わりのある町で、中世初期、イスラム勢力に占領されていたのだが、レコンキスタにより12世紀に、フランス王の一族、アンリ・ド・ブルゴーニュにより奪還されている。そのせいかどうかは分からないが、町でフランス語の通じるところが多かった。

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~レトロな路面電車が似合うポルトの街並み~

市街地は、大西洋に注ぎ込むドウロ川の北岸の急勾配の斜面に張り付くように広がっている。大通りはあまりなく、狭い路地が入り組んでいるので、ホテルを探すのに一苦労した。荷物を置いてまず行ったのが聖フランシスコ教会。建設が開始されたのは14世紀後半、建築様式は簡素なゴシック様式なのだが、この教会の特色は豪華絢爛な内部装飾だ。17~18世紀にかけ、バロック様式による金箔の木造彫刻で埋め尽くされた堂内は、さながら黄金郷のよう。なかでも特筆すべきは、シャルトル大聖堂のステンドグラスの主題でも知られる「エッサイの樹」の彫刻。横たわるエッサイから樹が伸び、枝々にユダ王国歴代の王達が、まるでこれから戦にでも赴くかのように、勇ましく立ち立ち上がる。

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~聖フランシスコ教会、外観は簡素だが、~

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~堂内は豪華絢爛な金色の装飾で埋め尽くされている~

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~内部装飾とエッサイの樹の彫刻~

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~エッサイの樹(拡大)~

ポルトはまた、橋が多いことでも有名で、ポルトと、ポルトワインの酒蔵が連なるヴィラ・デ・ノヴァ・デ・ガイアとを4つの橋で繋ぐ。「水平にしたエッフェル塔」と言われるドン・ルイス1世橋は、エッフェル塔の設計者、ギュスターブ・エッフェルの弟子であるテオフィロ・セイリグにより設計され、1886年に開通した。繊細な鉄骨造りの美しい構造で、エッフェル塔がドウロ川に逆さに沈み込むような印象を受ける。

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~ドン・ルイス1世橋~

この橋は歩いても渡ることができ、対岸のヴィラ・デ・ノヴァ・デ・ガイアに向かう。いくつものポルトワインメーカーの酒蔵と併設のバーが川沿いにひしめき、連なっている。私はワインも大好きなので、様々なポルトワインを試飲するのを楽しみにしていた。ポルトワインは、シェリー、マディラと並び世界3大酒精強化ワインと呼ばれるものの一つで、発酵の途中でアルコールを添加し、アルコール発酵を途中で止めてしまうもので、甘口ワインとして主に食前、食後酒として飲まれる。バーの一つに入り、樽熟成期間の異なるものを比較試飲する。試飲したのは10年物、20年物、そして40年物。10年物は甘さの中にもコクがあり上品な味わい。すっかり気に入ってしまった。次に試した20年物は果実味よりもアルコールの強さがやや勝っていて、紹興酒のような印象。そして、40年物。これには本当に驚かされた。上等なブランデーに熟成したワインの柔らかい果実味が程良く交ざったような、実に深い、上品な味わいだった。

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~ポルトワインの老舗、サンデマン社~

良い加減に酔いが回ってくる中、ドウロ川に夕陽が沈んでくる。川は朱色に染め上げられながら、夕焼けの中に溶けて行く。心地よい風が吹くと、川面に黄金色の光彩を散らしていき一刻一刻夕闇が迫ってくる。その内対岸のポルトの街並に夜の灯が灯り、徐々に漆黒へと色を変えるドウロ川に、青や赤の鮮やかな揺れる光の斑点を落としていく。後ろではライトアップされたドン・ルイス1世橋が金色に輝き始める。ヨーロッパとは言っても、フランスとは全く趣の異なる街並や風景に、少し感傷的な気分になりながら、今日で終わりとなる初めてのポルトガル旅行を思い返し、またいつか来てみたいな、と心の中で思っていた。

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~夕焼けのポルトとドウロ川~

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~夕闇が段々迫ってくる~

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ライトアップされたドン・ルイス1世橋~

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~ポルトから対岸の酒蔵を見る~
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ポルトガル旅行(5)

バターリャには修道院をじっくり見るため3日間滞在した。今回の旅行は、主にポルトガルのゴシック建築を訪ねることが目的なので、子供達はつまらないことこの上ない。で、2日目に、バターリャから車で少し西にったところにある、ナザレという海水浴場に行ってきた。

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~ナザレの海岸~

ただ、ここは大西洋、ご存じの方も多いと思うが、大西洋の海水は冷たく、泳ぐのには適さない。ここナザレもきっと水は冷たいんだろうな、と思いながら来てみたが、期待(?)にそぐわず、物凄く冷たかった。しかも波が荒い。とても子供が騒ぎながら海水浴を楽しめるなどという浜辺では無かった。波打ち際で子供と一緒に足を海水に浸けてみるが、冷たいのなんの、2、3度波を浴びただけで、冬の井戸水にでも浸かるように、足が痛くなってくる。泳ぐことは諦め、砂浜で少し遊ばせて帰ることにした。帰る前に、町でお昼を食べて行くことに。ポルトガルは日本と同じく魚が非常に豊富で、いわしの塩焼きなどとても美味しいと聞いていたので、素朴な海の食材にありつけることも期待していた。いかにも海辺の鄙びた町と言う感じで、細い路地が入り組んでいる。驚いたのは、住民達が軒先に七輪を出し、魚を焼いていることだ。日本と似ているなあ、と懐かしい気分になった。

レストランはガイドブックに乗っていた魚料理が安くて新鮮だというところにした。主人が日本語のメニューもあるぞ、と持ってくる。誰かが訳して上げたのだろうが、こんな西の果てまで、日本人は本当に凄いと思った。何の気無しに選んだレストランだったが、大正解だった。魚が新鮮で安く、しかも美味しい。食べたのはいわしとイカと、(恐らく)タイ。どれも塩焼きなのだが、焼き加減も味も絶品だった。極めつけは最後に頼んだ海の幸のリゾット。これは最高だった。大きな土鍋に優に二人前をあろうかという量がどっさりも盛られてある(勿論、一人前)。中には魚、貝、海老が豊富に入っており、ダシも十分に出ていた。家族全員大満腹、大満足で代金は飲み物込みで確か4、50ユーロ程だった(ちなみにリゾットは10ユーロ程だった)。ポルトガルはどこに行っても食事でがっかりさせられることは無い。

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~海の幸のリゾット、これで一人前~

翌日には、バターリャから東に60km程行ったところにある、トマールという町の修道院に行ってきた。ここはテンプル騎士団の本拠地であったところで、ユネスコの世界遺産にも登録されている重要な宗教建築物だ。テンプル騎士団というのは、十字軍の盛隆と共に発展した団体で、騎士団とは言いながら、修道士の一派で、聖地巡礼を行う信者の警護にあたる、武装した修道士を指す。一時は教皇からも認められ、ヨーロッパ全土に発展していったが、その財力などから段々と疎ましがれるようになり、ついには解散を命じられ、中心人物は死刑に処されたという悲しい結末を持つ宗教団体だ。

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~トマール修道院全景~

トマール修道院の歴史は古く、12 世紀後半から16世紀に亘り建設され、よって、ロマネスク、ゴシック、そしてマヌエル様式といった様々な建築様式を見ることができる。非常に大規模な修道院で、いくつもの回廊を有する。それぞれが異なった建築様式で、アズレージョと呼ばれる青が美しいタイルが一面に嵌め込まれた回廊もあれば、マヌエル様式の装飾が施されたもの、ルネサンス様式のもの、と数世紀に亘る建築様式の変遷を見ることができる。

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~アズレージョの装飾が美しい回廊~

中でも、何と言っても特筆すべきは円形礼拝堂で、その美しさは、同じ形態の礼拝堂では、キリスト教界随一だと思う。

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入口外から円形礼拝堂を眺める~

礼拝堂の中心に中が空洞となる円柱が立ち、その周りを円形廊下が取り囲む。まず驚かされるのはその豊かな色彩だ。石柱や廊下、天井といった全ての壁面やそこに置かれた彫刻群が、金、銀、緑、赤、黄等の豊かな色彩で極彩色に満たされている。システィナ礼拝堂のポルトガル版といったところ。ただ、けばけばしさは無く、中世の神秘的な雰囲気に満ちている。陽の光が当たると黄金色に燃え立ち、影となるところでは緑や赤や青が宝石のように暗く深い輝きを放つ。

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~円形礼拝堂(1)~

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~円形礼拝堂(2)~

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~円形礼拝堂(3)~

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~円形礼拝堂(4)~

トマール修道院のもう一つの大きな見どころは、マヌエル様式の装飾が施された大窓だ。マヌエル様式とは珊瑚やロープ等海をモチーフにした装飾が特徴であることは以前説明した通りだが、ここの大窓を見るとマヌエル様式の特徴がはっきりと見て取れる。また苔生しているところも、海底を思わせ、海の国の建築様式なのだということを実感させてくれる。

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~マヌエル様式の傑作である大窓~

こんな大規模な修道院を建てる費用は一体どこから捻出したのだろうという疑問が湧くが、ここを本拠地としたテンプル騎士団は、入会者からの寄進された資産、王侯、貴族達から委託された財産を管理・運営し、一大財産を作ったことでも有名で、修道院建設のための経済的基盤は十分にあったようだ。彼らの資産運用は当時では例の無いもので、預かった資産で土地を購入、ブドウ園等を運営したり、フランス王に対する財政支援等も行ったりしたことから、国際金融機関の始まり等とも言われている。尤も、このように、修道院という宗教団体でありながら、国にさえ資金援助できるほどの経済力を持ってしまったことが仇となり、当時テンプル騎士団から莫大な借金を抱えていたフランスのフィリップ4世の策略により、異端の烙印を押されることとなり、1314年、最高指導者達が火あぶりで処刑され、活動禁止に追いやられてしまったのだ。蛇足だが、フィリップ4 世がテンプル騎士団の会員を一斉に逮捕したのが13日の金曜日であったことから、キリスト教で不吉とされる「13日の金曜日」という考えが生まれたらしい。明るい青空の下、美しい修道院を眺めていると、そんな血生臭い過去を想像することは難しいのであるが。

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~回廊屋上より、マヌエル様式の外観と円形礼拝堂を眺める~

ポルトガル旅行(3)

旅の3日目。朝パラドールを発ち、一旦少し南にある大きな町カセレス迄下り、そこからリスボンへ向け車を西に走らせる。それにしてもスペインの大地は荒涼として乾いており、どこまでも同じ景色が続く。文学者でスペインに造詣が深い堀田善衛氏が何かの本でカセレスを化石の町と言っていたが、まさしく化石のような風景だ。雲一つ無い真っ青な空に乾いた大地、本当にここはヨーロッパなのだろうかと思ってしまう。200km程も車を走らせただろうか、ようやくポルトガル国境を通過する。リスボン迄はここからさらに250km程。まだまだ道のりは遠い。ポルトガルに入ってから段々周りの景色が変わってくる。どこまでも地平線が続く風景は同じだが、緑が多くなってくる。海に近づいているせいだろうか。

リスボンへは南から入ると町に沿って流れるテージョ川を渡ることになる。もう殆ど海と言っても良い位の河口で、川幅がとにかく長い。町の東と西に大きな橋が1本ずつかかっているのだが、長い方のヴァスコ・ダ・ガマ橋を渡ったが物凄く長い。10km位あるのではないだろうか。瀬戸大橋を渡っている気分だった。そして3日間の長い旅路の末、ようやくリスボンに着いた。パリから2000km弱走ったことになる。最果てまで来たなあ、という感じだ。既に午後3時近くになっているので、ホテルに荷物を置いて早速お目当てのジェロニモス修道院に向かう。

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~長い橋を渡りリスボンに向かう~

ジェロニモス修道院は、ポルトガル独特の建築様式であるマヌエル様式の最高傑作の一つとされており、リスボン西部のベレン地区にあり、ベレンの塔と共にユネスコの世界遺産に登録されている。スペインもポルトガルも色々な名前の建築様式が出てくるので分かり難いが、マヌエル様式とは、15世紀末から16世紀初頭にかけ、ポルトガルを治めた国王マヌエル1世の時代に発展した様式で、当時の海洋王国に相応しい、船体に結び付けられるロープや珊瑚など、海をモチーフにした装飾が非常に豊かに施された建築様式を指す。写真で見る限りは、つい昨日見たイザベル様式の浮彫装飾とも異なるもので、一体どのような建築様式なのだろうと期待を膨らませて修道院の裏手に車を止め、正面に回る。

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~ジェロニモス修道院全景~

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~マヌエル様式の装飾で埋め尽くされた南入口~

なんと立派で大きな修道院だろう。青空を背景に、海風に洗われたように真っ白な壁面が目に眩しい。スペインの建築様式の延長線上に考えていたが大きな間違いだった。手前にある礼拝堂の見事な壁面装飾と、その向こうに連なる旧寄宿棟(今は考古学博物館になっている)の美しいライン。目の前にあるのは、例えランス大聖堂をもってきても引けを取らない洗練された建築物だった。まずは礼拝堂南入口の装飾を眺める。これがマヌエル様式と呼ばれる建築様式の装飾だ。確かに装飾の豊かさではスペインのイザベル様式と同様だが、計算されたように整然とした美しい壁面。過剰装飾などという言葉は微塵も浮かばない。言葉も無く見上げるばかり。これを見るためだけでも2000km車を走らせた甲斐があったなとポルトガルの建築美を眼前に見ることができた喜びがこみ上げている。しばらく見とれた後、いよいよ堂内に入る。

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~狭い西入口を入り、~

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~堂内に進んでいくと~

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~突然視界が開けるように広大な内部空間が現れる~

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~華奢な細い石柱が広大な空間を支える~

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~柱にも施されたマヌエル様式の装飾~

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~小さな窓から差し込む明るい光~

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~ホールを思わせる広大な空間~

狭い西入口を潜り、ヴァスコ・ダ・ガマのお墓を横目に見ながら低い天井を通り抜け、堂内の空間に入る。これはゴシック建築の内部構造の極致だ。天井の高い広大な空間を鉄筋コンクリートのような細い華奢な石柱が支えている。シャルトル大聖堂等の堂内の石柱を見てもらえば分かるが、ゴシックの広大な内部空間を支えるため、初期の大聖堂では石柱はかなり太い。これがランス、アミアンへと発展するにつれ、自重や風圧力をフライングバットレスや大控壁等の外部構造に上手く逃がすことにより、段々と細くなっていき、これが内部空間をより広く見せる視覚効果を生むのだが、アミアン大聖堂の堂内と比較してみても、ジェロニモス修道院内部の軽快な石柱が生み出す効果は圧倒的で、巨大なホールに身を置いているような感覚になる。また、天井高を述べている資料が見つからないので分からないが、恐らく30m程度と、フランスの主要大聖堂と比べてそれ程高い天井では無いと思われる。にも拘らず、この細い石柱の効果によりずっと高いところに天井があるような錯覚に囚われる。セビリャやトレドの大聖堂は、建築技術的にはフランスのゴシック大聖堂の焼き写しに過ぎず、独創性は感じられなかったが、ここの修道院は違う。フランス・ゴシックにも無いような斬新な技術が取り入れられている。これほど見事な、そして洗練されたゴシックの内部空間を私はマヨルカ島のパルマ大聖堂以外には知らない。素晴らしいの一言。どんな言葉もこの構成美を表現するには陳腐なものになってしまう。ただ、一言だけ付け加えるなら、アミアンやランス程大きな窓が壁面に穿たれておらず、壁面自体が自重を支えているのでこのような細い石柱でも大丈夫だったのかも知れない。ただ、堂内に居て左程薄暗い印象を抱かないのは、ポルトガルならではの強い日差しのせいだろう。そのせいで小さな窓からもふんだんに陽光が差し込んでくるのだ。もしこういった効果も踏まえての細い石柱であるとしたら、ポルトガル・ゴシックとでも呼んでも良い位、フランスのゴシックとは異なる独自の、非常に独創的な様式だと思う。設計した建築家は真に天才だと思う(ただこの後、バターリャ修道院でさらにポルトガル・ゴシックの極致を見ることになるのだが)。

まだまだあと何時間でも堂内にゆっくり座ってこの美しい堂内を眺めていたいという気持ちが強かったのだが、慌しい旅の身、後ろ髪を引かれる思いで、北側に隣接する回廊に向かう。

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~洗練の極み、マヌエル様式の回廊~

ここでも私は言葉を失ってしまった。私は今まで、これ程美しい回廊を見たことがない。2層になった正方形の回廊が中庭を取り囲んでいるのだが、至る所にマヌエル様式の装飾が施されている。紋章あり、海草あり、珊瑚あり、実に繊細なのだが、決して重々しくなく洗練され軽やか。ここでも空の青との対比が見事で、まるで海原にでも出ているかのような気分になる。まさに大航海時代をリードした海洋王国に相応しい建築物だ。それもそのはず、マヌエル1世の命を受けて1501年(もしくは1502年)に建設が着工されたこのジェロニモス修道院、建築費用の大部分は、ヴァスコ・ダ・ガマによって「発見」されたインド航路からもたらされる輸入品に懸けられた税金によって賄われ(税金の1/12が本修道院の建築費用に充当された)、まさに、海上交易によりもたされた富で建てられた修道院なのだ。

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~美しく繊細な回廊の装飾~

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~影と光の対比~

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~回廊に陽の光が差し込む~

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~見事な装飾群~

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~2階から見下ろす~


夕闇が降り、ライトアップされた修道院もまた美しかった。

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~陽が沈み辺りが薄らと暗くなり始めると~

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~修道院に照明が当てられ始める~

空が朱から紫に変わっていく中、修道院に薄っすらと明りが灯り浮かび上がる。その光は段々とはっきりとしていき、一刻一刻と暗くなっていく空と対比をなしていく。晴れ渡った夜空に星が輝き出し、目の前では修道院が先程よりも鮮やかに照らし出され時を止める。大航海時代、当然ライトアップなどというものは存在しないが、周りに比べるような大建築物も無い中、月の光を浴びて白く浮かび上がる修道院は、今我々が目にするものよりも遥かに幻想的で、これから旅立つ者を送り出し、また、航海を終えて帰ってくる者を包み込むように迎えていたに違い無い。

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~ライトアップされた修道院全景~

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~修道院を反対側より見る~

ポルトガル旅行(2)

旅の2日目は、スペインを一気に南西へポルトガル方面に500km程車を走らせ、目的地のパラドールへ向かう。これでもまだまだポルトガル国境へは遠い。ポルトガルは本当に欧州最果ての国だ。

スペイン中部に入ると、それまでの北部とは風景が全く異なってくる。北部は山も多く緑も豊かだが、段々と平地になり荒涼とした大地が広がってくる。「ピレネーを超えるとアフリカ」とは良く言ったもので、オリーブの木がところどころ見られる、乾いた景色がどこまでも続く中、道のみが走っている。そして、暑い。ドライブの旅と言えど、なかなかきつい道中だ。

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~荒涼とした大地に一本の道が続く~

ところで、今回、初めて長距離旅行でカーナビなるものを利用した。あまりに時代遅れかも知れないが、今までは地図と格闘しながらの旅で道に迷うこともしばしば、案内役の妻も今回は全く知らない国に行くことでもあり、ナビを放棄したので、仕方無くカーナビを利用せざるを得なくなった。だが、このカーナビ、日本でも同じかどうか分からないが、とんでもなくいい加減な代物だった。また、フランスで買ったためか、とてもフランス的で、本当に中にフランス人が入っているのではないかと何度も思わされた。いくつか例を挙げると―

・高速を走っているのに道を把握できず、ナビを見ると荒れ地や森を突っ走っていることになっている(尤もこれは単にデータがアップデートされていないだけだったのかも知れないが、ただ明らかに建設されて数年は経っていると思われる高速もあった)、
・高速から下ろして一般道を走らせるのだが、一般道が高速と並走しており、おかしいと思っていると、数十km走ってまた高速に戻らせたりするといった、嫌がらせとしか思えないナビをする、
・上記のようなことがあるので、地図を見ながら無視してそのまま今迄の道を走っていると、何度も何度も高速から降りUターンさせようとする、また、そうやって指示を無視した時に限って、間違って行くわけの無い横道が出てくる場合にはご丁寧に「(分岐を)左へ(あるいは右へ)」と言うくせに、高速の大きな分岐が出てきても、何も案内が無いので、地図を見てあせることもしばしば、
・とは言うものの、こちらもどちらの道で良いか自信が無い時はカーナビの通りに道を進めると、15分位も走った後、行き止まりにぶち当たり、方向転換させられる(その際、当然詫びの言葉は無し、むしろ、Uターンしている間、しつこい位何度も「右折して右折(つまり方向転換)」と、早くしろ、みたいに急き立てる)、
・到着予定時間が出るのだが、明らかにカーナビの提示する道だと遅くなるので、違う道を行くと、急に違う道での新たなルート設定をやめてしまう、おかしいと思い、何度も設定し直すと、しぶしぶ(としか思えない)新たなルート設定をし、大幅に短縮された到着予定時間がこれもしぶしぶ出てくる(誤りを決して認めないフランス人のよう)

― といった具合。決してフランス製ではないのだが、平気で間違う、決して間違いを認めず自分の間違いを押し通そうとする、(機械だから当然だが)間違いをあやまらない(訂正しない)、間違いを無視すると一転非協力的になる、なんだか日頃接しているフランス人と全く同じだな、と道に迷ったり到着が遅れたりと、大いに迷惑を被ったが、それでも妻と、これ絶対フランス人が中にいるぜ、などと言いながら結構面白い道中であった。

どうでもいいことを長々と書いてしまった。途中、一泊目の町から200km程のところにあるバリャドリッドという町に少しだけ立ち寄った。カスティーリャ・イ・レオン州の州都で人口30万人を超える大きな町だ。イザベル・ゴシック様式で有名な、聖パブロ教会と聖グレゴリオ神学校の正面彫刻を見るためである。イザベル・ゴシックとは、プラテレスコ様式と呼ばれる、スペインで独自に発展した、ゴシック末期からルネサンス初期に亘る過渡期の建築様式で、その中のさらに初期のものを指す。15世紀末から16世紀初め、当時のカスティーリャのイザベル女王とアラゴンのフェルナンド王の治世下に発展したこの建築様式は、女王の名前を取ってイザベル・ゴシック様式と言われるのだが、イスラム教の支配下時代に発展したムデハル様式にフランボワイアン・ゴシックが交じった独特の建築様式で、過剰装飾と呼ばれるフランボワイアンをさらに豊富に肉付けしたような浮彫が特徴となっている。
ご存じかとは思うが、イザベル女王とフェルナンド王は1469年に結婚、一つのスペイン王国としての形を整え(ただ、カスティーリャ、アラゴン両国はそれぞれ、そのまま存在していたが)、1492年のイスラム教徒からのグラナダ奪還に成功している。両王は熱心なカトリック信徒で、当時の教皇アレクサンドル6世から「カトリック王」という称号も与えられている。また、同じく1492年にはイザベル女王がコロンブスに新大陸への渡航許可を与え、アメリカ大陸の‘発見’につながるといった、スペイン盛隆の始まりの時期にも当り、同時期に建設された(上記2建築物も両王からの指示になるもの)建築物にもその勢いが感じられても不思議では無いと思う。

まずは聖パブロ教会。薔薇色の西正面にイザベル様式の浮彫が一面に施されている。フランスのフランボワインアン装飾より感覚的で豊満、いかにもスペインらしい建築様式だと思う。

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~西正面全景~

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~西正面拡大部分~

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~西正面扉口、浮彫彫刻で埋め尽くされている~

次に聖グレゴリオ神学校の正面浮彫。たかだか高さ20m程の入口だが、これを見るだけでも立ち寄る価値は十分にあったと思わせるものであった。

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~正面入口全景~

聖パブロ教会同様、これでもかと言う程の浮彫装飾が施されているのだが、決して過剰や派手などではなく、むしろ抑制された調和と洗練さを備えている。青空を背景に真っ白に映える装飾群はたとえようもなく美しかった。これが夜にライトアップされたらどんなに綺麗だろうと、是非見たかったのだが、ここから宿泊先迄さらに300km弱程、とてもゆっくりはできないので後ろ髪を引かれる思いでバリャドリッドを発つ。ここには今度またゆっくり訪れたいと思った。

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~正面入口上部、中央の見事な獅子と紋章の浮彫~

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~イザベル・ゴシック様式の複雑なフランボワイアン装飾~

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~右端の柱を見上げる、奇妙な人型の彫刻~

さて、カーナビに散々間違った道を教えられながら、ようやく夕方に2泊目のパラドールに到着した。スペイン南西にあるエストレマドゥーラ地方の北端にある小さな町、Jalandilla de la Villaのパラドールだ。この町、といっても村程度の大きさしかないが、地方北部の中心都市プラセンシアからさらに北にかけて広がる、今迄の風景とは打って変わって異なる山岳地帯を車で1時間程ぐねぐね曲がる山道を上ったところにある。本当にこんなところにパラドールなどあるのだろうか、と思いながら車を走らせていたのだが、近づくにつれ、ホテルがどんどん増えてくる。町の近くには清流が流れ、川遊びもできるようになっている。きっと程良い避暑地になっているのだろう。

町の中心部に見下ろすように建つパラドールは、15世紀のカルロス5世のお城をホテルに改装したものだ。立派な門構えで、期待して入口をくぐると、そこにはまさに中世の世界が広がっていた。2つの塔を両端に抱える建物が見渡せる異国情緒にあふれた中庭。広々としたサロンやテラス。階段には昔の絵画や家具などが置かれてある。長旅の疲れが一気に吹き飛ぶようだった。また、裏庭にはプールまで併設されている。退屈していた子供達は大喜びで遊んでいた。

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~パラドール入口~

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~入口の後ろに広がる中庭。2階部分がサロン~

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~サロン~

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~テラス、勿論、サロン共にゆっくり読書などできる。誰もいない贅沢な時間~

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~裏庭、この裏手にプールが併設されている~

そして夕食、いつもはバルに行くのだが、ここは中庭がレストランになっており、この雰囲気の中で食事がしたかったのと、外なので、子供が多少騒いでも大丈夫だろうと、レストランで食事をすることにした。夕闇が降りてくると建物がライトアップされ、素晴らしい雰囲気になる。

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~ライトアップされた中庭、奥がレストランになっている~

これだけでも中庭で食事をした甲斐があったと思われるのだが、メインで頼んだイベリコ豚のステーキは本当に絶品だった。イベリコ豚は生ハムでは有名だが、ステーキでは食べたことが無かったので注文したのだが、正直、こんなに美味しい豚肉は食べたことが無い。上質のサーロイン牛のような柔らかいジューシーな食感の中にも、牛タンのような歯ごたえのある、とても豚肉を食べているとは思えない味だった。味付けは粗塩のみなのだが、肉の旨みだけで十分に楽しめた。

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~イベリコ豚のステーキ、あまりに美味しく、写真を撮るのを忘れ半分位食べてしまった~

パラドールはもっと規模の大きな、建築的にも有名なものが沢山あるが(帰りに泊ったレオンのパラドールなど)、今日泊ったパラドールこそ、中世の雰囲気にそのまま浸ることのできる、まさしくパラドールと呼ぶに相応しいホテルなのでは、と思ってしまった。

ポルトガル旅行(1)

夏休みを利用してポルトガルに一週間の旅行に出かけてきた。いつものことながら、小さい子供が二人いるので、パリから車で出発の、総計4千km超に及ぶ運転。大変疲れる旅ではあったが、私にとって初めてのポルトガルは、予想を遥かに上回る素晴らしい国で、洗練されたポルトガル・ゴシックの美しさのみならず、美味しい食べ物や自然など、非常に充実した旅行となった。

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~ポルトの町の夕焼け~

ポルトガルは、本当に物価が安い。食べ物はレストランの食事も含めて、フランスの1/3から半分程度だと思う。そして非常に食材が豊かだ。国の西半分が海に面しているので、魚介類が新鮮で美味しいのは勿論、肉や果物、ワインやパンに至る迄、あらゆる食べ物が安価に手に入り、料理のレパートリーも豊富だった。そして、短い滞在で決めつけるのは早計であることは重々承知しているが、出会った人々皆が穏やかで笑顔であった。また、ポルトガルに向かう途中、スペインを通過したのだが、たまたま聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路を車で通ることがあったが、非常に多くの、大きなバックパックを背負った巡礼者達とすれ違った。未だに聖地巡礼は当たり前のように行われているが、本当に50m間隔位で人が歩いており、これ程多くの巡礼者が、しかもこの極暑の中いるとは思いもよらなかった。全員がスペインのみで全行程800kmにも及ぶ長い道のりを歩いているわけではないと思うが、それぞれが一部なりとも、その自らの足で大地を踏みしめ、一歩一歩聖地に近付いているのだ。夜、旅籠に辿り着き、ささやかな食事と夜空の星で満たされる時、その人達の心は、どれ程の充足感で満たされることだろう。こうして車で巡礼者達を横目に見ながら通り過ぎ、快適なホテルでの滞在と美味しい食事を繰り返す自分の飽満の旅が恥ずかしくなってきたのを思い出す。旅を終えて帰路、車でパリに向かう途次、スペインやポルトガルの人々の豊かさについて考えていた。今では、南欧の近隣諸国と共に、PIIGS(ピッグス)などという屈辱以外の何物でもないレッテルを所謂先進諸国から押しつけられ、EUのお荷物のような扱いを受けているが、フランスやその他EUの主導国や日本、米などの国々と比べ、人々の生活や心は、一体、どちらの方が豊かなのだろうか。日本の個人の生活・幸福をないがしろにした社会のあり方に疑問を抱き、フランスでの人々の生活の豊かさに惹かれ、こちらに人生の軸足を置く選択をした私にとっても、ポルトガルの、そしてポルトガル人の生活の豊かさには、フランスと比べても尚、改めて考えさせられるものがあった。一度しかない残り少ない人生、楽しく、豊かに生きていきたいと改めて思わされた。

前置きが随分長くなってしまった。旅行の目的はポルトガルだったが、スペインを通過するのを利用し、往路2泊、帰路1泊のパラドール旅行も楽しんできた(パラドールのことは1月のスペイン旅行の記事をご覧下さい)。1泊目は、ワインで有名なリオハ地方にある、サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルザダという、サンティアゴ巡礼路にある小さな町のParador de Sto. Domingo Bernardo de Fresnedaというパラドール。昔の巡礼路の旅籠を改装した建物で、礼拝堂、回廊も備えている。左程規模も大きくなく、往時の建物、調度品がそのまま残されている。宿泊客も多くなく、ひっそりとしており、中世の世界にタイムスリップしたような感覚になる。

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~パラドール全景~

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~入口を入ると~

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~すぐ右手に礼拝堂の回廊があり、設置されたソファでゆっくり読書等できる~

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~趣きのあるサロン~


部屋には天蓋付きのベッド。うちは子供用にエキストラベットを追加しているが、スタンダードのダブルで割引料金利用だと90ユーロだ。フランスのシャトー・ホテルでは考えられない安さ。

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~ゆったりとした部屋~

夕食はいつもの如く、小さな子供を連れてのレストランは気を遣うのでバルへ。

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~歴史を感じさせるバル~

ここのバルも趣きがありとても良かった。料金も非常に安い。ワインは地方の美味しいリオハがグラスで1.9ユーロ。この値段だと、パリでは中華レストランの品種も分からないスーパーマーケットのワインでも飲めない。タパスも安くて美味しかったが特に絶品だったのがチョリソ入りのトルティーヤ。これがサンドイッチで出てきてすごいボリューム、卵の甘みの中にチョリソの辛みが絶妙に交じり、大変美味しかった。1000km近い車の運転の疲れも一気に吹き飛び、心地良い気分で旅の初日を終えることができた。

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~チョリソ入りトルティーヤ・サンドイッチ~
プロフィール

クータンス

Author:クータンス
学生時代からフランスとゴシックの大聖堂に魅せられ、紆余曲折の人生を歩んだ結果、フランス永住の道を選択しました。
ここでは、フランスを中心としたゴシックの大聖堂を紹介したいと思いますが、フランスでは夜になると大聖堂は勿論のこと、殆どの歴史建造物がライトアップされます。また、単なるライトアップのみではなく、いくつかの大聖堂では、素晴らしい光のスペクタクルを見せてくれるところもあります。こういった大聖堂の写真も一緒に載せていきたいと思います。

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