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サンドニ大聖堂

サンドニはパリの真北に隣接する町で地下鉄でも簡単に行くことができる。パリ周辺の郊外の町の中でも場末という感じで、悪い言い方をすれば、品の無いベッドタウンといった印象を受ける。しかし、中世にはフランス国内で最大規模の市が開かれる町として知られ、また、宗教上も一大聖地として崇められていた。

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~サンドニ大聖堂西正面~

サン(聖)ドニは3世紀の殉教者で、パリのモンマルトルの丘で斬首されたのだが、腕でその首を抱え、説教をしながら歩き続け、ここサンドニに辿り着いて息絶えたのだという。町の名前はこの伝説に由来する。以降、ドニ(正確にはディオニシウス)は聖人に列せられ、息絶えた場所に礼拝堂が建立された。これが今日見る、ゴシック建築の発祥と言われるサンドニ大聖堂(元々は修道院付属聖堂「basilique」と呼ばれていたが、1966年より大聖堂を名乗れるようになる)の起源である。その後歴代の王がこの地を敬い、改築のたびに立派な聖堂が建立されていった。また、12世紀になると、サンドニの旗が国王軍の公式の軍旗となり、宗教上の首都としての地位を確立することになる。以降、歴代の王の殆どが眠るフランスの聖所となっていく。

さて、私の嫌いな歴史はこれ位にして、最初のゴシック建築と言われるサンドニ大聖堂を見てみたい。まず西正面だが、これはまだまだロマネスクの面影を濃く残すもので、薔薇窓も小さく、壁面も簡素である。大窓も尖頭アーチではなく、円形アーチとなっている。彫刻群もゴシックの始まりを告げるものとして名高いが、個人的にはロマネスクのものを若干写実的にした程度で、この彫刻をもってロマネスクとゴシックを大きく線引きする程のものではないと思う。しかしながら、こういった印象を持って堂内に入ると、外観とは全く異なる世界が眼前に広がっているのに驚かされる。交差ヴォールトを用いた高い天井、光の窓と化したステンドグラスで埋め尽くされた壁面から堂内に流れ入る光の洪水、まさしくゴシック様式の大聖堂だ。ただ、ここで一言付け加えておくと、サンドニ大聖堂に関する様々な本を読むとゴシック最初の大聖堂、ゴシック発祥の地などと書かれているが、これは、ゴシック様式の特徴である、交差ヴォールト、フライングバットレス、ステンドグラスで埋められた壁面、こういったものが完成された形で一つの聖堂の中に現れたということであって、決してこのサンドニ大聖堂から急にゴシック建築の諸要素が一気に使用されたというわけではないということだ。例えば、交差ヴォールトは当時ノルマンディー地方では既にいくつかの教会堂で採用されていたし、ゴシック初期のレヨナン方式という放射状の周歩廊祭室もここサンドニが発祥のように捉えられているが、パリのサン・マルタン・デ・シャンの教会堂は放射状祭室を既に備えていた。サンドニはあくまで、それまでバラバラに存在していた新しい建築技術の各要素を一つに纏め調和させ、一つの様式に高めたということで、ゴシック発祥の地とされているのである。

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~内陣のステンドグラス化した壁面(1)~

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~内陣のステンドグラス化した壁面(2)~

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~翼廊及び内・外陣~

ところで、サンドニ大聖堂、ゴシック様式と切っても切り離せないのが、シュジェという12世紀前半から半ばにかけてサンドニ修道院の院長であった人物だ。この辺りのところはゴシック建築に関する本などに非常に詳しく書かれており、私の知識の範囲を超えているので割愛させて頂くが、このシュジェなる人物、相当処世術に長けた人物であったらしい。10歳の時に修道院に入るが、その時、後のフランス王となるルイ6世と知り合い、交友を深めることで、以降様々な形で政治に関与していくことになる。当時は宗教と政治は密接に関係していた(また反目していた)ので、宗教と政治の双方で重要な地位を占めるということは、世を牛耳るということをも意味していた。国王の権力を後ろ盾にシュジェはサンドニ修道院の地位を高め、確固たるものとしていく一方で、宗教界でも、その処世術を生かし、教皇にも覚えの高い人物となり、押しも押されぬ人物となっていく。

こういった地位を確立した上で、彼は自分の修道院の改築に着手する。ゴシック研究の第一人者オットー・フォン・ジムソンがその著「ゴシックの大聖堂」で、シュジェ及びサンドニ大聖堂に関し、非常に詳細かつ緻密に論述しているが、彼は、コンスタンチノープルのハギア・ソフィア、あるいは、ソロモンの神殿にインスピレーションを得、ここサンドニにそれを再現しようとした。1140年に内陣が着工され、その僅か4年後の1144年に献堂されている。この内陣こそが、交差ヴォールトを全面に採用、壁面にはステンドグラスが嵌め込まれた周歩廊祭室を持つ、後にゴシック様式と呼ばれるものとなるのである。その印象は圧倒的で、スケールがそれ程大きくなく、周歩廊祭室の光が人の目線に直に飛び込んでくること、上部には壁が殆どない程ステンドグラスで埋め尽くされていることなどから、シャルトルやパリの大聖堂よりは、はるかに発展したゴシック様式のように思える。尤も、内陣上部及び身廊は、シュジェの時代のものではなく、13世紀前半の建築家、ピエール・ド・モントルイユの手によるものではあるが。兎に角、ここがゴシック様式発祥の地であり、同様式を確立したシュジェの功績は建築史上、美術史上、大変輝かしいものとなっており、どのような本を読んでも、ここのところは見解が一致している。

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~周歩廊の放射状祭室(1)~

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~周歩廊の放射状祭室(2)~

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~周歩廊祭室の緑を基調とした美しいステンドグラス~

しかしながら、私には、こうした専門書で書かれている彼のゴシック建築に関する功績というものが果たして本当かなと思えてしまうのだ。まずは第一に、いくら彼がある程度の建築技術に関する知識を持っていたとしても、所詮はアマチュアで、具体的なゴシックの聖堂の設計などできるはずが無いということ。この点は先に触れたジムソンも、必ずシュジェをサポートした建築家が存在したはずだ、と述べている(ただ、それでも彼はッシュジェの引き受けた責務と指導性とはまことに顕著である、と彼の功績を称えているが)。第二に、彼の類まれなる処世術及びそこから読み取れる出世欲(と私には思えるのだが)だ。彼は、一般の人々の感化のためには、宝飾品や彫刻、ステンドグラス等、視覚に訴える美が必要なのだ、と述べており、これを理由に教会を光輝く場所、従来のなんの装飾も無い簡素な修道院から、はるかに大規模な光に満ち溢れたゴシック様式による教会へと変貌させようとするのだが、まだまだ質素・清貧を尊んだ修道院が宗教界で幅を利かせていた時代、同じ修道院という組織の長として、こういった発言・行動を行うということは、ただ単に自分の(我が修道院を他のどの大聖堂にもひけを取らない立派なものにしたい、という)欲求を実現させる理由・口実を作りたかっただけではないのだろうか、と疑ってしまうのだ。

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~側面のフライングバットレス~

ただ、彼が新しい聖堂を建立するに際し、明確なヴィジョンを持っていたことは明らかであろうから、実際の事の次第は以下のようなものであったのでは、と私は想像している。

「シュジェは、新しい聖堂を建立するに際し、どこにも無いような大規模で美しい、また斬新な聖堂を建立したいと考えた。当時いくつかの聖堂で試みられていた新しい新技術を見、あるいは耳にし、それらを全て取り入れ、かつより洗練されたものとして統合し、新聖堂を建立する、こういった計画を同時期にサンドニ修道院で働いていた建築家(あるいは別の建築現場から引っ張ってきた名高い建築家)に説明し、設計をさせ、建設に着手させた。出来上がった聖堂は素晴らしいもので人々の賞賛を浴びたが、彼はその賞賛を一身に浴びたく、設計した建築家の偉業を前面に出さず、自分の業績だと後世に伝えることにした。」

どうだろうか。例えば、周歩廊のステンドグラスにも自分の姿を描かせているが、本当に宗教のため、一般人への布教、教化のためにのみ尽くす人物は自分の姿を聖堂の中に、しかも文字ではなく、ステンドグラスの中に聖人らに交じって残そうと思うだろうか。私には何かそこに純粋ではない、打算的なものを感じてしまうのだが。 本当に神に仕える人なら自分の姿等残さず、設計した偉大な建築家の名前を残そうとするのではないだろうか。

私がこんな突拍子もないことを想像してしまうのには、一冊の小説が大きな影響を及ぼしていると思う。英国の作家ケン・フォレットの長編大作に「The Pillars of the Earth(日本では大聖堂という題で翻訳が出ている)」という小説があるが、これは丁度、教会建築がロマネスクからゴシックに移行する時期のヨーロッパを舞台とした一大叙事詩で、戦争、平和、恋愛、宗教・政治の対立、といった人間の生きてく上での大きなテーマ達が、ゴシック大聖堂の建設という主題を中心に非常に大きなスケールで描かれており、1000ページを超える長編であることも忘れて一気に読み進んでしまう程素晴らしい小説なのだ。この小説の登場人物の中に、二人の対象的な神に仕える人間が出てくる。一人は純粋に神のためにのみ人生を捧げ、自分の命も恐れず悪に敢然と立ち向かう人物で、もう一方は、常に自分の利益を考え行動し、目的達成のためなら悪と手を組むことも厭わない人物である。この二人が物語の進行と共に様々な局面で対立し、最終的には前者の勝利で終わるのだが、後者も決して心の奥底から悪なのではなく、神の地位もしくは神に仕える人・施設等は常に優遇されるべきと信じ過ぎるがために、知らず知らずに悪に染まっていってしまうという人物なのだ。当然この人物とシュジェが同じ人間だとはとても思わないが、神のためになら手段を選ばず、というところがシュジェにもあったのでは、と思えてしまうのである。また、この小説に出てくる建築家(これが主人公なのだが)が非常に魅力的に描かれており、ゴシックの建築様式に魅せられ、先程話した前者(修道院長から物語の後半では司祭となる)に是非ゴシックの大聖堂を建設させて欲しいと願い出、ついにこれを完成させるのだが、ここからも、やはりこういった傑出した建築家がいなければこんな素晴らしい建築様式は絶対誕生しない、と思ってしまうのだ。

長々と関係のないことを書いてしまったが、サンドニ大聖堂が非常に素晴らしいゴシックの大聖堂であることには疑いの余地はない。特に翼廊の薔薇窓が見事で紫(実際には青と赤で遠くから見ると紫に見える)を基調とした大変素晴らしい構図を見せてくれる(嵌め込まれているステンドグラスは比較的新しい19世紀のもの)。唯一残念なのが、周歩廊のステンドグラスのいくつかが、修復のためだと思うが、プラスチックに置き換えられているということだ。特にシャルトル大聖堂西正面の大窓の主題と同じ「エッサイの樹」のステンドグラスは、構図も全く同じで比較が楽しいのだが、プラスチックが嵌め込まれ、ガラス本来の深い色合いを見ることができないのは非常に残念だ。

DSC02795.jpg~紫の色合いが美しい南翼廊薔薇窓~

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~エッサイの樹のステンドグラス、中心部分がプラスチックに置き換えられている~

また、歴代の王達の墓に混じって、マリー・アントワネットの墓標もある。これは単なる墓標でこの下にマリー・アントワネットが眠っているわけではない。どことなく寂しそうに見えるのは気のせいだろうか。

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~マリー・アントワネットの墓標~
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プロフィール

クータンス

Author:クータンス
学生時代からフランスとゴシックの大聖堂に魅せられ、紆余曲折の人生を歩んだ結果、フランス永住の道を選択しました。
ここでは、フランスを中心としたゴシックの大聖堂を紹介したいと思いますが、フランスでは夜になると大聖堂は勿論のこと、殆どの歴史建造物がライトアップされます。また、単なるライトアップのみではなく、いくつかの大聖堂では、素晴らしい光のスペクタクルを見せてくれるところもあります。こういった大聖堂の写真も一緒に載せていきたいと思います。

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