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ルーアン大聖堂

パリから西へ100km程のところに、ノルマンディー地方の首都ルーアンがある。第二次大戦の悲惨な爆撃にも拘らず、中世の町並みを今なお残し、数多くの教会があることから「百の尖塔を持つ町」とも讃えられ観光都市としても人気の高い町であるが、そういった一般的な評価とは全く別のところで、ルーアンは私にとってフランスの数ある美しい町の中でも、最も印象深く、心の中にその姿を止めている町である。その一番の理由が、モネの連作で有名なルーアン大聖堂である。

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~大時計塔から見た大聖堂西正面~

ルーアンの町は20年以上も前、私が大学2年の時に初めて訪れる、そのもっと以前から既に私の心の中で大きくなっていた。最初のきっかけはある観光ガイドブックに出ていたルーアン大聖堂の西正面の写真である。白黒の本当に小さな写真であったが、他のゴシック大聖堂の西正面とは全く趣きの異なるその華奢と言ってもいい程の華麗な姿(これは後になって後期ゴシックの装飾様式である、フランボワイヤン(火炎)様式であることを知ったのであるが)に、すっかり魅せられてしまったのを今でも鮮明に覚えている。

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~西正面のフランボワイアンの装飾~

これがきっかけの全てというわけではないが、フランスに関するものに対し徐々に興味を持つことになった私は、フランス文学も熱心に読むようになっていった。その中でもルーアンを舞台にし、その描写があるものには特に惹きつけられて読んだ。とりわけ、ルーアン生まれの19世紀末写実主義の大家フローベールの作品は熱中して読んだ。彼の小説の文学史上のあまりに重要な意義もさる事ながら、彼は、文字による描写が創り出す美というものに偏執的なまでの固執を示した作家としても有名であり、彼の筆が紡ぎだす風景、人物描写は、その描写から喚起される心象風景がそれを描写する実物の人・実際の風景そのものよりも美しくさえあり、私は、彼が文字でもって絵画や写真等の視覚に訴える美に比肩し、凌駕しうる美を構築することに成功した文学史上唯一の作家なのではないかと思っている。かの有名な「ボヴァリー夫人」の中で、ボヴァリー夫人と若い愛人レオンとが初めての逢引で馬車に乗り、ルーアンの町中を駆け巡る描写は実にスリリングで読む者を小説の中にぐっと引き込むのだが、その逢引の待ち合わせ場所になっているのがルーアン大聖堂で、堂内をフローベールは以下のように描写している -
「本堂は、アーチ形の迫持の先端やステンドグラスの一部を水のみなぎっている聖水盤に映していた。しかしステンドグラスの絵の影は、大理石の柱のふちに当たって屈折し、その向こうの石畳の上に色とりどりの毛氈のように伸びていた」
非常に簡潔であるが、実に美しい情景描写で、私にはルーアン大聖堂の幻想的な堂内が頭の中に浮かび上がってくるようだった。

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~堂内、周歩廊には13世紀の美しいステンドグラスが残る~

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~南翼廊にある16世紀のステンドグラス~

たまたま、ルーアンの古絵葉書屋(フランスにはこういった商売が本当に存在する、年に1、2度パリで大きな見本市も開かれる程)で見つけた白黒の昔の大聖堂の写真が19世紀の小説の中の大聖堂のイメージを良く伝えていると思うので参考迄に下に載せておく。

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~古絵葉書(1)~

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~古絵葉書(2)~

また、モーパッサンが「脂肪の塊」の中で描いた、プロシア兵がサントカトリーヌの丘(ルーアンの西にある小高い丘で、ルーアン右岸の古い町並みが一望できる)からルーアンの町に進行してくる描写も印象的だった。丘から眺めたルーアンの古い町並みはきっとこんな姿だろうと想像を巡らせていた。

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~サントカトリーヌの丘から見たルーアンの町、夕闇が降りてくる~

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~大聖堂にライトアップの照明が灯される~

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~夕闇が段々深くなる~

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~ライトアップされた大聖堂~

この数年後に実現した、私自身の心の中でどんどん大きくなっていったルーアン大聖堂の実物との出会いは、私の期待を裏切らないどころか、その優美かつ繊細な姿でもって全く私を虜にしてしまった。それからほぼ毎年、学生から社会人になっても、年一回の休暇の度にフランスに旅行し、必ずルーアンに寄り大聖堂と対面した。会う度に思いは強くなっていった、(この町で暮らし、毎日大聖堂を眺めていたい)と。そして、その夢が本当に幸運なことから実現することとなったのだ。当時勤めていた会社からフランス語研修としてフランスに派遣されることになった私は、研修地としてルーアンを希望し、これがすんなり認められたのである。もう天にも昇る思いだった。期間は僅か半年だったが、それまで年一回、一泊二日の旅でしかルーアンに滞在できなかった私にとっては、その半年という期間は終わりのない長い滞在に思える程嬉しいものだった。
いよいよルーアンに派遣されてからの毎日は、それはもう夢のような毎日だった。朝下宿から学校に行く途中、昼休みにサンドイッチを齧りながら、学校が終わって下宿に帰る途中、と毎日何度も大聖堂を眺めては立ち止まり、その美しさに感嘆の溜息を洩らした。西正面広場にある階段に座り、1時間以上じっと眺めているということもしょっちゅうだった。
何故私がここまでルーアン大聖堂に惹きつけられるのかとても一言では言えないが、一番の理由はその美しい、フランボワイヤン様式の西正面であろう。フランボワイヤン-火炎-様式は、ゴシック様式が後期の爛熟期に入り、建築様式としての発展ではなく、装飾様式といった細部への偏重の中で生まれたもので、文字通り、炎のような細かい曲線が特徴の装飾様式で、窓枠や彫刻等に浮彫の形で刻まれているものである。これの複雑かつ繊細なものは「石の刺繍」と形容されることもあるが、ルーアン大聖堂西正面は、この「石の刺繍」が至るところに散りばめられた、フランボワイヤン様式の一大傑作なのである。両端にフランボイヤンの小尖塔とでも言うべき華奢な柱を配した中央扉口の上方にレース織りと見紛うばかりの切妻の浮彫装飾を冠し、さらにその上にはこれまたフランボワイヤン様式では最も美しいと言われるバラ窓を挟んで上下左右にそれこそ石という素材を忘れさせる程の細密な透かし彫りの装飾彫刻群、まるでレース織りのサラセン絨毯のよう。特に素晴しいのはバラ窓を形作る浮彫装飾なのだが、残念ながら現在では磨り硝子が嵌め込まれており昔日の美しいステンドグラスは見ることができない。

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~磨り硝子の薔薇窓が痛々しい~

第二次大戦の爆撃により消失してしまったのである(他にもルーアン大聖堂は戦争の被害を大きく被っている)。ルーアンのステンドグラス研究家であるジャン・ラフォンが、戦争による惨禍を蒙る前の1924年に著したルーアン大聖堂のステンドグランスに関する著書で、このバラ窓のステンドグラスを以下のように描写している―
“我々はこれ程調和のとれた、光に満ち溢れた巨大な輪を想像することはできないであろう、金色や紺碧を背景にして立ち上るサラセン赤や、黄や緑、そして純白の天使たちにより形作られる薔薇窓を”―
私達はどれ程多くの人類の宝をその愚かな行為により後世の人達から奪っていっているのか。歴史や未来に対し、そして今生きる現在に対し、もっと謙虚にならなければならないと、失った貴重な文化遺産の痕跡を見る度に思い知らされる。

少し筋道が逸れたが話を元に戻そう。このように様々な魅力を湛えた大聖堂の西正面は少し離れて見ると、その印象は実に華麗かつ幻想的で、最早石でできた建築物とはとても思えず、人気のない夜、ライトアップされた西正面を漆黒の夜空を背景に眺めていると、まるで時間が中世の昔から止まってしまったかの印象を受ける。
また、この西正面は別の点でも他のゴシック大聖堂のそれと比べて特異な際立った存在となっている。西正面広場から大聖堂を眺めると、まず、非常に幅が広いという印象を持つと思う。これは、ゴシック建築では通常、西正面は大聖堂本体と同じ幅になっているのに対し、ルーアン大聖堂のそれは、南北の両塔が西正面の両脇に迫り出して建っているからである。やや低めの西正面の両脇にすっと伸びた尖塔(北塔74m、南塔82m)が聳え立ち、実に美しいコントラストを見せてくれる。ただそれだけではなく、北の塔は下から上に行くにつれ、階層毎にロマネスクからゴッシクへと様式を変化させ、一つの塔の中に建築様式の変遷を見ることが出きる。そして南のバターの塔(この塔を建設する資金捻出のためバターに税金をかけたことが名前の由来となっている)は全面的にフランボワイヤン様式を採用した繊細優美な塔。着工から完成まで実に4世紀の歳月を費やしたことから、このように様々な建築様式が同居する形となったのだが、これを無秩序な混在と断定し、統一のない西正面と批判する研究家もいる。しかし私には、素朴と言われるロマネスク様式と装飾過多とまで言われることもある繊細なフランボワイヤン様式との全く異なる2つの様式が初期ゴシック様式を介在としてそれぞれが見事なまでに調和し、相互を補いかつ高める形で共存している、と思えるのである。

少し大聖堂の大きさを紹介しておく。全長137m(シャルトル大聖堂は130m)と長いのに対し、高さは28mとかなり低い(主要なゴシック大聖堂は30m台後半以上)。これはノルマンディー地方のゴシック大聖堂の特徴で、イギリスの大聖堂が天井が低く、非常に長い(ウィンチェスター大聖堂は全長なんと170m)のと良く似ている。百年戦争前迄はノルマンディー公国としてノルマンディー地方と英国が一つの国であったことから同じ様式が発展したのだろう。また、中央交差部に採光塔があるのもこの地方のゴシック大聖堂の特徴である。この上に聳える中央尖塔は高さ151m、フランスのゴシック大聖堂の中で一番の高さだ。最も今の尖塔は19世紀に再建されたもので、火災で焼失した以前の石造りの尖塔は135mであった。

モネがこの西正面の美しさに魅せられ、何枚もの絵を描いたというのは有名であるが、彼の一連の作を見るまでもなく、様々な色彩で見る者を幻惑する西正面の美しさは、異なる時間帯にその前に立てばすぐに実感できる。特に夕陽を浴びて朱色に燃え立つ様は圧巻で、これから訪れる夜の静けさを察知して最後の一条の夕陽を、両手を広げて一杯に受け止めているかのような、ほんの一瞬の刹那的な美を、見る者に垣間見せてくれる。

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~夕陽を浴びる西正面を斜めから見る~

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~夕陽を浴び朱色に染められるフランボワイアンの装飾~

また、この自然の光とのコラボレーションもさることながら、夜間に繰り広げられる、ライトアップという人工の光とのコラボレーションもまた素晴しいものである。先程も話した通り、夜になると全く異なった姿を我々の目の前に見せてくれるのであるが、特に正面から眺めた時の、真っ白に浮かび上がる西正面の真ん中から黒色の真鍮で造られた中央尖塔が緑青色の柔らかい光をその中から放ち聳える様は言葉で言い表せない程である。
ところで、フランス人とは、こと美に関しては実に粋なことを考えるもので、昼間の、モネが描いた陽光により変化する西正面と、夜になり、人工の光を浴びて屹立する西正面とを同時に並存させてしまったのである。毎夏、日が暮れると、西正面に最新の投射技術をもって、モネの描いた西正面をライトアップとしてそこに映し出すのだ。朝焼けのまだ淡い色を帯びた姿から、陽が垂直に差込み弾ける様な白さを際立たせる瞬間を捉えたもの、また、夕陽を浴びた石の材質を忘れさせてしまうような鮮やかな朱色まで、モネの描いた様々な時間帯の姿を、実物の西正面を巨大なスクリーンとして暗闇の中に映し出す。見ているうちに実物の西正面なのか、モネの絵なのか分からなくなり、見物客達はその場に立ち尽くし嘆息の声を漏らす。こういった実に憎い演出を無料で観光客に提供するわけだから、どんなにフランスが国際化(アメリカ化)の波に晒されようとも、これからも文化大国の誇りと看板は背負っていくのだろうなと、我が祖国のこの分野での嘆かわしいまでの現状を思いつつも、西正面の美しさに理屈を忘れずっと眺め続けているのである。

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~ライトアップ(1)~

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~ライトアップ(2)~

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~ライトアップ(3)~

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~ライトアップ(4)

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~ライトアップ(5)~
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プロフィール

クータンス

Author:クータンス
学生時代からフランスとゴシックの大聖堂に魅せられ、紆余曲折の人生を歩んだ結果、フランス永住の道を選択しました。
ここでは、フランスを中心としたゴシックの大聖堂を紹介したいと思いますが、フランスでは夜になると大聖堂は勿論のこと、殆どの歴史建造物がライトアップされます。また、単なるライトアップのみではなく、いくつかの大聖堂では、素晴らしい光のスペクタクルを見せてくれるところもあります。こういった大聖堂の写真も一緒に載せていきたいと思います。

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