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アルビ(サント・セシル)大聖堂

アルビの町はフランス南西部にある、タルヌ県の県庁所在地で、旧市街地の建物が殆ど全て煉瓦でできていると言っても過言ではない位、煉瓦作りの建物が多く、「赤い町」と呼ばれる大変美しい観光都市だ。丁度昨年、ユネスコの世界文化遺産にも登録されている。美しい街並み以外にも19世紀の有名な画家、トゥールーズ・ロートレックの生地としても有名であり(記念美術館では彼の作品を見ることができる)、また、Pont vieux (古い橋)と呼ばれる、なんと1040年に建造された煉瓦の橋(現在も使用されている橋では最古のものの一つだそうだ)なんてのもあって、夏の晴れの日に行けばこれほど心地良い町はなく、何度でも訪れたい素晴らしい町だ。

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~町の中心部の丘に聳えるアルビ大聖堂~

とは言うものの、私の一番の目的は当然、ここにあるゴシック様式のサント・セシル大聖堂だ。ただ、この大聖堂は、その建築素材、形状によって、恐らく、ヨーロッパに存在するゴシック様式の大聖堂の中でも、最も異質な大聖堂の一つであると言うことができると思う。先にこの大聖堂の歴史的背景や、私の印象を述べてしまうと、先入観を持たれてしまうので、この大聖堂について書いている作家の方々の文章を以下に引用した後で、私がこのアルビ大聖堂に対し持っている印象や評価を述べることにしたい。

まずは、スペイン旅行の時に何度も名前を引き合いに出させてもらった堀田善衛氏。「美わしきもの見し人は」というエッセーで、古代から現在に至る数多くの芸術作品を興味深いエピソードを織り交ぜ紹介している大変良い本なので、何度となく読み返しているのだが、その中にアルビ大聖堂について述べられている箇所がある。少し長くなるが、該当部分を以下そのまま抜粋するので読んで頂きたい。

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~西正面から見上げる~

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~西尖塔~

「町は、ついにはボルドオに至るガロンヌ川の一支流であるタルン川にのぞんでいるのであるが、夏の夕方近くに、血のような形をしたタルン川に沿ってこの町に近づいていき、その中央にそびえ立っている一個の巨大な建築物をはじめて眼にし、私はハッとなって息を呑んだものであった。少々の誇張を許して頂ければ、ほとんど魂消るような思いをしたことであった。夏の夕陽に映えた、その背の高い、一見のところでは倉庫のような建物が、実に陰惨な、禍々しい面構えでもって、不吉な赤紅色に輝きわたっているのだ。町の中心にそびえたっているとすれば、それはもうお寺であるにきまっているのであるが、いくらかは西洋の建築寺院になれている私であるとしても、そいつだけは、どうにもお寺などとは思えなかったのである。むしろ刑務所に近い。」
「このアルビのサン・セシールには(入口は)たったの一つしかない。しかも凱旋門つきの五十段の階段を飾る、聖ドミニク上人の名による入口装飾は、この寺が外部にもったたったひとつの寺院らしい飾りなのだが、これは後年に取り付けられたものであって、本来はお寺らしい装飾も何もない、要塞一本槍のものであったのだ。本来は、ともいう一度いえば、入口なんぞは設けたくなかったのだろうと察せられる。窓は細くて、不気味な鐘楼は、まるでむかしのいくさ船の帆のようである。まったくとりつく島がないというのはこのことである。これはとにかく神に奉献されたる聖堂などというものではありはしない。」

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~南入口~

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~南入口を斜めから見る~

氏の酷評はまだまだ続く―
「これほどに醜く、これほどに住民、すなわち人間に対して敵意をむき出しにした建築というものは、どこの世界にもあまりあるものではなかろう。それは胃にどすんとこたえるほどの、厭なものであった。内側へ入ってみてそのゴテゴテギタギタと、豪勢な、内陣その他のあり方に吐き気を覚え、鐘楼の内側にあるフレスコ画の最後の審判図、地獄図絵のいやったらしさにはつくづくと参ってしまった。なんという根性であり、なんというしつこさ加減であろうか。」
「ところで、「美しきもの見し人は」などという題を掲げてこういう厭らしいもののことを長々と書くということは、何が醜であるかを知ることもまた無駄ではなかろうと思う。」
と、まさしく、取りつく島もない程の貶し様だ。


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~現在はロートレック美術館になっている旧司教館から眺める~

次はフランス人のプロスペル・メリメ。19世紀の作家で小説「カルメン」の作者であると言えば思い当たる人もいるだろう。この人、歴史家、考古学者という肩書きも持ち、歴史記念物監督官として、多くの歴史的建造物の保護に当たった人としても有名で、小説以外にも、歴史建造物に対する数多くのエッセーも残している。その中でアルビ大聖堂について述べているものがある。

「アルビのサント・セシル大聖堂は殆ど全て煉瓦で建設されている。.........遠くから、間隔を置いて半円形の控え壁を従える分厚い壁面、内陣の上から30m以上も高く聳える巨大な塊の塔が、この大聖堂に要塞としての外観を与える。しかも、この教会堂にはいかなる装飾もなく、外観は形態の奇妙さが優雅さに勝っている。大聖堂には正面というものがなく、先に述べた尖塔は、内陣の西側部分を全て占めているのだ。主要玄関は南にあるが、教会堂はある程度斜面の険しいところに建てられているので、正面側の通りの高さは教会堂の鋪石より9m以上低いのだ。」

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~巨大な西尖塔~

たった二人の作家の一文を引用して、この大聖堂の評価を下すのは、あまりに強引だが、もし興味があれば調べてもらえれば分かるが、何がしかこのアルビ大聖堂について書かれているもの(観光案内以外で)を読めば、大部分が上記のようなことを書いていると思う。要するに、外観が美しくなく、見た目は要塞のよう、なんとすれば醜いとまで言われ、堂内はゴテゴテといやらしい装飾で飾り立てられている、というわけだ。

通常、ゴシック建築と言えば、大きな窓、華麗で軽快な飛び梁(フライングバットレス)、西正面の繊細な彫刻やすっと天まで伸びるこちらも繊細な尖塔などが特徴で、こういった観点では、写真でご覧頂いてもお分かりの通り、また、先の引用文も、外観に対する説明のところについては決して間違いでは無く、そういったゴシック建築の特徴らしきものは外観からは感じ取れないのだ。尤も、このような外観となったには当然理由があるのだが、その背景を少し説明したい。

DSC04560.jpg~確かに外観は要塞のようと言えなくもない~

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~夜景ではなおさら良く厳めしい感じが分かるか~

11世紀の始め頃、この地域にはカタール派(日本ではカタリ派と言われているが、当地での発音に倣い、以後カタール派という)というキリスト教の分派が勢力を伸ばし始めていた。その教義は、簡単に言うと、「この世に存在するものは全て悪」であるということ。人間を始め、生あるものも全て悪ということになる。そして、「生」がいたるところに存在するこの世は悪なので、大変厳しい戒律を重んじ、禁欲生活を送ることを目指した。こういった信仰態度が世の人々に迎えられ、南フランスからスペイン国境に向け、大規模に展開していった。この内、最も勢力の強かったものを場所に倣い、「アルビ派」と呼んでいた。

「カタール派」「アルビ派」は時と共に一層力を付けていったが、この動きにローマ教皇庁が目を付けたわけだ。一番の問題は、イエスが神の子ではない、としたこと。カタール派によれば、生は悪なので、生あるイエスの体に神が宿るはずは無く、十字架にかけられても死なない、よって死んだイエスは神の子では無い、とカタール派は唱えるわけだが、これがローマ教会のイエス・キリスト=「神の子」の教義と真っ向から対立するわけだ。そういったわけで11世紀にはローマ教皇庁より異端宣言がなされ、12世紀には正式に禁止が決定された。当初は特使を派遣し、改宗への説得に当たっていたが、功を奏せず、南フランスを自らの支配下におさめて全フランスを王権のもとにおきたいと願った当時のフランス王との思惑が一致し、カタール派とカタール派を保護する諸侯を撃破するための十字軍が編成された。これが、世界史を勉強した人なら聞いたことがあるであろう、「アルビジョア十字軍(アルビジョアとは’アルビの‘とか’アルビ人‘を意味する)」である。

十字軍の名の下の「聖戦」は、実際は熾烈を極めた虐殺だったと言い、多くのカタール派信者達は処刑、あるいは焼身自殺等を図った者も多かったらしい。こうして、1229年にはパリで和平協定が締結され、トゥールーズ伯が王への服従とカトリック信仰への復帰を表明するという形でフランス南部がようやくフランス王の版図に組み込まれ、一連のアルビジョア「十字軍」活動は幕を閉じた。ただ、この十字軍は宗教的な理由によるものというより、フランス王がその国土を全て我が物にしたかったという政治的な意図も働いたものであったと言うことができるだろう。

読んでいると眠くなる歴史のお話はこれ位にして、パリ和平協定から少しした1282年にサント・セシル大聖堂の建立が着工する。和平協定は締結され、周辺の土地もフランス王国に組み込まれたとは言うものの、まだまだ水面下では不穏な動きもあったであろう、当時北フランスで盛隆を極めていた繊細・華麗なゴシック様式の外観とするのではなく、教皇庁の逆らうことのできない権威を誇示するためと、万一徒党が攻めてきた場合に備え、堀田善衛氏やメリメが言うような、要塞のような外観にせざるを得なかったわけだ。ちなみに、大聖堂の名前はサント・セシルと、大変女性らしい名前(実際、聖セシルは音楽の守護神)だが、これは大聖堂の歴史を紐解くと、920年に既に聖セシルに献堂されていた、とあるから致し方ない。もしアルビジョア十字軍の後に、捧げる聖人の名前を決めることができていたのなら、サンチャゴ・デ・コンポステーラに倣って、聖ジャック(スペイン語でサンチャゴとは聖ヤコブ=ジャック)大聖堂などと名付けられたかもしれない。虐殺されたカタール派の人々のことを思えばあまりにも不謹慎ではあるが(イスラム教徒に対する十字軍もしかり)。

DSC04469.jpg~外観からは想像もつかない絢爛な世界~

ということで、ようやく、ようやく、私のアルビ大聖堂に対する印象について述べたいと思う。まずもって言いたいのは、数あるフランスのゴシック大聖堂の中でも、私はこのアルビ大聖堂が最も美しい大聖堂の一つだと思っていることだ。確かに要塞のような外観をしていることは否定できないが、上記のようなやむを得ない事情がある中、灰色のような暗い色ではなく(尤もこれは近隣に石材を切り出す石場がなかったことから煉瓦を材料とせざるを得なかったようだが)、赤煉瓦を積み上げた圧倒的な量塊でもって大聖堂を立ち上げたこと、30mの天井を支える壁面の半円形の控え壁と細長い窓とで見せる素晴らしいコントラストは、これを設計した建築家の卓越した力量を表していることに他ならないと思う。

赤い町の名の通り、煉瓦でできた建物が立ち並ぶ町の中心部の小高い丘に、圧倒的な存在感をもって聳えるこの建築物は、この色、この形でしか存在できなかったと思う。もしここに、シャルトルやランスの大聖堂をもってきたらどうだろうか。今我々が遠景よりサント・セシル大聖堂の雄姿を眺める程の感動を得ることができるだろうか?決してそんなことはないと思う。このアルビの町には、この形と色をしたサント・セシル大聖堂しか、君臨することはできないのだ。そしてそれが理屈抜きに美しいことも。

人の感性はそれぞれで、それを否定することはできないが、私にはどうしても堀田氏の完膚なきまでと言ってもいい程の、サント・セシル大聖堂の否定には与みすることはできない。また、あえて言うならば、これだけの影響力のある人が、自分の感性に余程自信を持っていたとしても、歴史が造り上げた建造物をかくまで貶しても良いものかどうか、疑問に思うのである。

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~青を基調とした天井画が少しでもお分かりになるだろうか~

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~フランボワイアンの装飾と天井画~

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~壁面との対比も美しい、左下のおじさんが邪魔~

また、堂内の素晴らしさには、私は個人的にはシャルトル以上に言葉が無い。これほど美しい大聖堂の堂内を私は知らない。まず天井一杯に描かれたフレスコ画。深い青を基調に、新旧約聖書の各主題が描かれている。これは16世紀に、時の司教アンボワーズII世がイタリアで装飾壁画に触れ、ボローニャから画家を呼び寄せ、描かせたものだ。堀田氏は、「内側へ入ってみてそのゴテゴテギタギタと、豪勢な、内陣その他のあり方に吐き気を覚えた」、と仰るが、ではバチカンのシスティナ礼拝堂の天井フレスコ画にも同様な見方をするのだろうか?また、これをゴテゴテギタギタというのであれば、ヴァイルサイユ宮殿などは一体何と呼べば良いのだろう。私は、外の抑制された(せざるを得なかった)素っ気なさとの対比もあり、神の国に入った、別世界に入り込んだような華やかな気分になる。窓が狭いせいで、決して堂内は明るくはないが、それでも鮮やかな色彩は見る者の視線を釘付けにする。また、壁面に描かれた抽象模様の色彩も見事だ。

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~最後の審判のフレスコ画~

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~拡大図、地獄絵がリアルに迫ってくる~

西側祭壇に描かれた最後の審判の巨大なフレスコ画も素晴らしい。不幸にも、真ん中部分が18世紀に、その奥に礼拝堂への入り口を設けるために破壊されてしまって今は存在しない。もし残っていればボーヌの療養院にあるロジェ・ヴァン・デル・ウェイデン作の同じ主題の祭壇画にも匹敵するものとなっていたであろう。天国に召される人達との対比として怪物に蝕まれる人達の恐怖が、ヒエロニムス・ボスをも彷彿させるような筆致で、実にリアルに描かれている。

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~ジュベから外陣方向を見る~

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~外陣との境にある装飾彫刻~

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~今度は逆にジュベから内陣後部を見る~

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~内陣上部を見上げる、数少ないが14世紀のステンドグラスが美しい~

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~フランボワイアンの装飾を通し内陣上部を斜めに見る~

こうして堂内に入ると、内部空間一杯に満たされた色彩の交響楽の織りなす素晴らしさに圧倒されるわけだが、それでも、ジュベ(内陣の中心部にある一段高い部分、聖歌隊台や説教台等がある)一面を覆うフランボワイアンの装飾彫刻群を見てしまうと、石の刺繍などという言葉が軽々しく聞こえる位の繊細な芸術に、私などは、むしろ堀田氏などとは正反対に、同時代では争って外観の美しいゴシック建築を建造している中、防衛の観点から無骨な外観の大聖堂しか建立できなかった、サント・セシル大聖堂の建設に携わった人々の、美しいものを、なんとかこの世に造りたい、残したい、という切なる気持ちが伝わって来、悲しいまでの感動に打たれるのである。ここでは本当に呆然と立ち尽くし、あるいは座り込み、研磨された宝石の内部の無数の輝きよりも繊細な美しさを有する彫刻装飾に感嘆の声を漏らすばかりなのだ。外観の重々しさには辛口の表現をしたプロスペル・メリメも堂内については、以下のように述べている-

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~ジュベのフランボワイアン装飾で最も素晴らしい説教台~

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~同拡大部分、本当に石かと見紛うばかりの繊細さ~

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~ジュベに入った裏側の装飾~

“いかなる想像力をもってしても、このフランボワイアンのオジーブ、三つ葉飾り、驚嘆すべき軽快な窓の仕切り枠、真の石のレースよりも、優美で優雅なものを思い描くことは不可能である”

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~ジュベと外陣の仕切り装飾~

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~同じく仕切り装飾の中心部分に十字架が据えられている~

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~同拡大部分~

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~同拡大部分(2)~

夜になり、煉瓦色のため朱色に照らされる大聖堂は昼間とは打って変わって、過去の陰惨な血に塗られた歴史を表すかのように漆黒の暗闇の中に浮かび上がっていた。

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~ライトアップされた南入口と西尖塔~

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~西側から南入口を見る~

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~大聖堂全景のライトアップ~

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~西尖塔を真下から見上げる、圧倒的な存在感と量塊~

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~遠景よりライトアップされた大聖堂を見る、どことなく過去の歴史が蘇るよう~

一個人の言葉でしかなく、ましてや作家のように不特定多数の人に読まれたり、影響を与える必要がないので敢えて言うが、堀田氏のアルビ大聖堂に対する印象は全く皮相で間違っているだけでなく、ゴシック建築という範疇に止まらず、これほど素晴らしい建築物はこの世にそうあるものではないと断言したい。パリからは700km程もあり、中々訪れることのできる距離ではないが、機会がある限り一度でも多く、この素晴らしい世界遺産を見に来たいと思う。

ちなみに、最後に、いつもの如く、比較が好きなもので、大聖堂の大きさに触れておきたい。全長113.5m、天井高30m、西尖塔の高さ78m、幅は側廊がないので細く30m。観光案内、その他色々な本を読んでも、世界で最大の煉瓦造りの大聖堂とされている。が、ポーランド北部の歴史都市グダンスクに、聖マリア教会と呼ばれる、同じく煉瓦造りのゴシック様式の教会があるが、全長105.5m、天井高30m、尖塔の高さ82m、幅は側廊があることもあり66mもある。さて、どちらの方が大きいのだろう。グランスクの聖マリア教会も見に行ったことがあるが、何せかなり昔なので記憶が定かではないが、グダンスクの方が巨大な印象を受けた気がする(大聖堂じゃないからアルビが一番なんていう、変な理由なのだろうか?)。こちらもアルビほどではないが、非常にユニークな外観をしたゴシック建築で、大変見ごたえがある。思い出すとまた久しぶりに行ってみたくなってきた。
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アルビの歴史的建造物1:聖セシール大聖堂

まずアルビといえば、やはりサント・セシール大聖堂。 1862年に歴史的建造物の指定を受けています。 フランスで歴史的建造物のリストが作られたのは1840年なので 比較的早い時期にそ

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Re: No title

はじめまして。コメント頂き、有難うございます。
アルビに住んでいらっしゃるんですね、羨ましいです。私もアルビは
大好きで、3月の休暇には、一週間アルビの街中にアパルトマンを
借り、日常生活を体験してきたところです。

アルビの事をご紹介されていらっしゃるカイヤスさんのブログに
トラックバックして頂き、光栄です。ブログ拝見させて頂きましたが、
とても興味深く、休暇で行く前に読みたかったです。これからも
拝見させて頂きたいと思います。どうぞ宜しくお願い致します。
プロフィール

クータンス

Author:クータンス
学生時代からフランスとゴシックの大聖堂に魅せられ、紆余曲折の人生を歩んだ結果、フランス永住の道を選択しました。
ここでは、フランスを中心としたゴシックの大聖堂を紹介したいと思いますが、フランスでは夜になると大聖堂は勿論のこと、殆どの歴史建造物がライトアップされます。また、単なるライトアップのみではなく、いくつかの大聖堂では、素晴らしい光のスペクタクルを見せてくれるところもあります。こういった大聖堂の写真も一緒に載せていきたいと思います。

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