スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ストラスブール大聖堂

本日はいよいよストラスブール大聖堂をご紹介したい。今回改めて訪れてみて思ったのだが、ストラスブールは、町自体が好きなこともあるが、本当に良く来ている。平均すると年に1回は必ず来ていると思う。

DSC04314.jpg
~西正面を北斜め前から仰ぎ見る、収まりきれない大きさ~

前にルーアン大聖堂をご紹介した際、私の最も好きな大聖堂の一つで、これを毎日見たいがために、会社からのフランス語研修の滞在先に選んだほどだった、というお話をしたが、ルーアンはその際十分見たから、ということも言えるが、その後フランスで生活するようになって、パリからの遠さにも拘らず、最も頻繁に訪れている町はこのストラスブールなのだ。そう考えてみると、私が最も魅かれている大聖堂はストラスブール大聖堂なのかもしれない。ただ、美しい大聖堂は、その魅力も全く異なるので、どれが一番などと言うことはできないし、そもそも比較すること自体意味がないのだが。とは言うものの、このストラスブール大聖堂、ルーアン大聖堂、そして、まだご紹介できていないが、ノルマンディーのクータンス大聖堂の3つの大聖堂が、私の中で特別な位置を占めていることは間違いないと思う。

DSC05750.jpg
~西正面を南側真横から見たところ~

ストラスブール大聖堂をご紹介する前に、この素晴らしいストラスブールの町をご紹介しないわけにはいかない。パリの東約500km、ドイツとの国境近くにあるストラスブールは、フランスとドイツの両方の魅力を兼ね備えた、大変美しい町だ。アルザス・ロレーヌ地方の首府、アルザス県の県庁所在地で、人口は27万人強。地の利から、欧州評議会本部も存在し、まさしく、欧州の中心と呼ぶに相応しい町だ。勿論、観光都市としても、大変人気のある町で、旧市街には古い家並みが未だ残っており、特にプティット・フランス(小フランス)と呼ばれる地区には、可愛い運河の周りに、木組み造りの家が犇めき合うように数多く建っており、お伽の国にでもいるような感覚になる。こころなしか、建物が他のフランスの町より大きく感じるのは、ドイツの影響だろう。国鉄の駅の威風堂々たる姿は一見の価値がある。また、大聖堂を始めとする多くの建築物が近隣から採掘される薔薇色の砂岩で建てられていることも、町に独特の彩りを添えている。

DSC06080.jpg
~大聖堂前広場横の小道~

DSC06081.jpg
~プティット・フランス~

DSC06078.jpg
~大聖堂前広場、右側に見えるのがカメルゼルの家、左の水色の建物がいつも泊まるHôtel de la Cathédrale、部屋の雰囲気、感じの良いスタッフ、美味しい朝食、と最高のホテル~

ストラスブールの町も、メッツ同様、歴史に翻弄されてきた町だ。紀元前から人々が集落を形成していたストラスブールは、中世には自由帝国都市として大きく発展する。すぐ横を流れるライン河による交易の中継地、また、農産物の輸出基地として(アルザスワインで有名なワインは、何と8世紀頃からドイツ、オランダ等の近隣諸国に輸出していたそうだ)、人々とお金が集まり、大変豊かな町となっていく。また、自由都市としての活気ある雰囲気は、ストラスブールの町を、現在と同様、コスモポリタンな都市へと変容させていく。グーテンベルグが活版印刷を発明したのもストラスブール(尤もこれには諸説あり、グーテンベルグがドイツのマインツに滞在していた時に発明したのだ、という説もある)で、15世紀には10を超える印刷所があったそうだ。こうした活版印刷の普及が、プロテスタントの台頭を促し、旧教カトリック対新教プロテスタントの長い戦いに繋がることになるのだが、ストラスブールは、その自由な雰囲気から、プロテスタントの勢力拡大の温床の地となり、元々カトリックの司教座があったにも拘らず、カトリック教徒に迫害されたユグノー派を迎え入れたりもしている。一方、ストラスブールのカトリックの司教としては、町でプロテスタント教徒が力を付けていくのを面白いはずがない。自由都市として栄えたストラスブールの何でも受け入れる雰囲気が災いした格好となってしまうのだが、なんと16世紀の終わりには、大聖堂がカトリック司教とプロテスタント司教とで二分割されてしまい、しばらく、醜い司教の戦いが繰り広げられることになる。これがきっかけとなり、以降、町の勢力は弱体化はするものの、引き続き自由都市として、フランスの庇護下にはありながらも、その存在は維持していくのだが、1870年のプロシア戦争により、ストラスブールは先般お話したメッツと同様、ドイツ領となる。その後は、第一次世界大戦におけるフランスの勝利により1919年、再びフランス領になったかと思うと、第二次世界大戦には、さらに再び1940年、ドイツ領となるが、1944年、ドイツの敗北により、またもやフランス領となり、今日に至るといった、まさしく歴史の波に弄ばれる運命を辿ることになる。ただ、そのような悲惨な運命が現在のストラスブールに暗い影を落としているかと言うと、そんなことはなく、欧州評議会本部が置かれるなど、中世の時代のように、国際都市としての重要な地位を確立している。

DSC06088.jpg
~西正面を斜め後ろから見る、迫力ある量塊~

いつものように、少し前置きが長くなってしまった。さて、ストラスブール大聖堂のご紹介をしようと思うのだが、実はそう思って書き出してから、早や2ヶ月も経ってしまっている。忙しくて暇がなかったこともあるのだが、自分がこの大聖堂に対し感じていること、思っていることを書こうとすると、あまりに多くのことがあり過ぎ、またそれの整理が付かず、書けないでいる。恐らく、自分の中で、この大聖堂の占める場所が大き過ぎて、少し離れたところから客観的に見ることができないのか、あるいは、自分の拙い感受性では、この芸術作品を自分の中で処理できないのかもしれない。とは言うものの、是非この、例えるもののない素晴らしい大聖堂をご紹介したいので、なんとかお話していきたいと思う。

DSC06071.jpg
~後部から見た西正面尖塔~

まずは、このゴシック建築の最高傑作であるストラスブール大聖堂のことをより良く理解して頂きたいので、簡単な歴史的背景から説明したい。大聖堂の起源は遥か昔迄遡ることができ、7世紀末に初代の大聖堂が、今ある敷地に建立されたらしい。その後、8世紀にはさらに大きな大聖堂が建設され、幾度にも亘る火災の後、1015年に、より大きな大聖堂がロマネスク様式で建設されたが、木組み造りだったため1176年の火災で消失してしまう。そして、1190年頃、当時の司教により、完成したばかりの近隣のバーゼル大聖堂(スイス)より美しい大聖堂を建てる、という意図の下、新大聖堂の建設が開始される。

DSC05771.jpg
~ゴシック様式の身廊とロマネスク様式の中央交差部の塔~

当初は、元の大聖堂の基礎を利用し、内陣からロマネスク様式で建設が開始されるが、1225年、シャルトルからやってきた職人の一団が、ゴシック様式をここストラスブール大聖堂に導入する。こういった経緯から、ストラスブール大聖堂は、内陣はロマネスク様式の面影が強く残る一方、外陣から西正面にかけては、スケールの一回り大きなゴシック様式が展開され、なんとなく、尻すぼみのような格好になっているのだ。その姿は外から見ると一層良く分かる。通常ゴシックの大聖堂は後陣から眺めると、放射状礼拝堂とその上に扇を広げたように架かるフライングバットレスが実に優雅で繊細な姿を見せてくれるのだが、ストラスブール大聖堂では、後陣が殆ど存在しないような形になっている。内部から見てもその構造は明らかで、翼廊のすぐ後ろに、非常に短い内陣が半円形でくっついているだけだ。また、これが完全なロマネスク様式で建設されており、小さな窓が真ん中に一つ穿たれているだけで、丸屋根にはモザイク画が描かれている。身廊は63mと、フランスのゴシック大聖堂中最も長いにも拘らず、内陣が殆ど存在していないことから、全長111mと、主要なゴシック大聖堂と比べ、かなり短くなっている。

DSC05855.jpg
~堂内~

DSC05770.jpg
~フライングバットレス~

DSC05784.jpg
~北側側面~

一方、目を身廊から西正面の方に移すと、そこには素晴らしいゴシック様式の大聖堂が存在している。天井高は32mと、パリ大聖堂と同じ高さで、着工年からするとランスやアミアンと比べ、かなり低く、シャルトルから来た職人達の影響を受けたからだろうか、印象はシャルトル大聖堂に代表される、初期ゴシックのそれに近い。ただ、身廊から側廊に降りるフライングバットレスはより軽快な姿となっており、また、トリフォリウムにも窓が穿たれ、より洗練された形態となっている。

DSC05871.jpg
~ナルテックス、薔薇窓のすぐ後ろの部分~

この大聖堂でもう一つ特徴的なところは、内部にナルテックスと呼ばれる空間が存在することだ。ナルテックスとは、西正面裏側内部と身廊との間を繋ぎ、隔てる空間で、洗礼志願者等の、信徒団に未加入の人達が礼拝を聞いたりすることができる場所で、言ってみれば、俗世(聖堂外部)からと聖なる空間(身廊より東の聖堂内部)との間の空間として存在していたもの。まだキリスト教が俗世と隔絶していた修道士達により支配されていたロマネスク時代以前の名残で、ゴシックの時代になるとサンドニ以降は徐々に姿を消すことになるが、ここストラスブール大聖堂-にはその着工年次にも拘らず、ナルテックスがはっきりとした形で残っている。当初ロマネスク様式で着工されたことや、急速にキリスト教が一般信徒のものとなり、競ってゴシック大聖堂が建設されたイル・ド・フランスとその周辺地域とははるか離れた地域であったことなどが関係しているのかもしれない。

DSC05889.jpg
~ナルテックス、右側のベイより外陣が始まる~

このナルテックスの効果というのは現代人でも容易に感じることが出来る。明るい外部から西正面玄関を通り内部に入ると、暗いナルテックスの空間に導かれ暗闇に入り込んだ感覚に囚われるのだが、そこを抜け、一歩身廊に入ると、ステンドグラスを通して舞い降りる光に満ち溢れた空間に身を置くことになり、俗世とは異なる、神の国に来た、という印象を抱くことになる。一般の人々にとって、まだまだ神の世界が、自分達の手の届かぬ別の世界、という認識であったゴシック以前の時代には、このナルテックスの存在が、神の空間=聖堂内部をより印象付け、神・キリスト教の存在を敬い・恐れさせることに一役買っていたのだろうが、都市の発展に伴い、キリスト教が身近な存在となるにつれ、ナルテックスの存在も必要と無くなっていったのだろう。

DSC05797.jpg
~堂内を彩るステンドグラス(1)北側側廊~

DSC05799.jpg
~ステンドグラス(2)北側側廊~

DSC05806.jpg
~ステンドグラス(3)北側側廊~

DSC05875.jpg
~ステンドグラス(4)北側側廊~

DSC05824.jpg
~ステンドグラス(5)、身廊上部~

DSC05831.jpg
~ステンドグラス(6)、身廊上部~

DSC05847.jpg
~ステンドグラス(7)、身廊上部~

DSC05884.jpg
~ステンドグラス(8)、身廊上部~

DSC05823.jpg
~ステンドグラス(9)、身廊上部~

DSC05851.jpg
~ステンドグラス(10)、南側廊~

DSC05885.jpg
~ステンドグラス(11)、同拡大部分~

内部のステンドグラスも大変素晴らしい。側廊窓と身廊上部、そして先程述べたように、中間層のトリフォリウムにもシャルトルでは壁面であったものが、ここでは窓が穿たれ、全面にステンドグラスが嵌め込まれている。北側側廊には歴代皇帝の姿が13世紀のステンドグラスで描かれ、南側廊にはキリストや聖母マリアの生涯が14世紀のステンドグラスで描かれている。上部のステンドグラスからは聖人達が見下ろしている。いずれも殆どが中世の深みのあるステンドグラスで大変美しい。シャルトルなんかと少し違うのはその色合いで、フランス中心部のゴシック期のステンドグラスはシャルトルのステンドグラスに代表されるように、赤と青を基調にした色彩が中心となっているが、ここストラスブール大聖堂では、赤・青に加え、ドイツの伝統的な色合いである緑も多用されている。全体的にシャルトルと比べても決して引けをとらない水準のステンドグラスを見ることが出来る。また、数少ないものの、12世紀(シャルトルブルーと同時期)の非常に古いステンドグラスも嵌め込まれていたが、これらは今、大聖堂南側にあるルーブル・ノートルダム美術館に展示されている。

DSC05754.jpg
~ルーブル・ノートルダム美術館にある12世紀のステンドグラス~

ただ、なんと言っても素晴らしいのは西正面の薔薇窓。私はストラスブール大聖堂の薔薇窓が、数あるゴシック大聖堂の薔薇窓の中で最も美しいと思っている。普通、薔薇窓には、キリストや聖母マリア、あるいは聖人達など、キリスト教上の人物が主題を持って描かれるのだが、ここストラスブール大聖堂の薔薇窓は例外的に、単なる模様となっている。大輪の花あるいは花火のような光の輪が、中心の白から広がるに連れ、青、赤、黄、緑、と色を変え、先端では花びらが開くような円形模様で締めくくられている(ただ、実際には、町の商業の繁栄を象徴して麦の穂が描かれているのだそうだ、色鮮やかなので、あまりそうは見えないのだが)。これこそ、天に咲いた極彩色の光の花と呼ぶに相応しい、薔薇窓の最高傑作だ。シンプルなのだが、色彩の構成が実に素晴らしい。訪れる度、時間の経つのを忘れて眺めている。

DSC05813.jpg
~薔薇窓~

DSC05818.jpg
~薔薇窓中心部~

そして西正面。ゴシック大聖堂の中で、これ程美しい西正面は他に存在しないだろう。シンメトリーの美を保ちながら、数多くの繊細かつ大胆な透かし彫りや彫刻を纏い、上方へと伸びて行き、北側に142mもの尖塔を頂く。驚くほど繊細でありながら、華美に過ぎず、かと思えば時が静止したかのような存在感でもって見る者を魅了する、均衡と調和で満たされているかと思う一方、天に昇るような上昇感をも与える、まさに建築という芸術分野が創り上げた最高傑作であると思う。

DSC05899.jpg
~西正面全景~

DSC05909.jpg
~西正面、16世紀のカメルゼルの家越しに見る~

DSC05896.jpg
~西正面扉口彫刻~

DSC04302.jpg
~西正面中央扉口から仰ぎ見る~

この西正面、大きく分けて、3つの段階に亘り、建設が進められた。今ある形は度重なる計画変更の結果である。まず最初は、エルヴィン・フォン・スタインバッハの設計によるもので、薔薇窓の上の部分が空間となり、その両側に方形の塔が配置される形。丁度パリのノートルダム大聖堂を同じようなデザインだ(エルヴィンは最下層と薔薇窓迄を仕上げ死去、その後、息子のジャンが薔薇窓両側の2層目迄を完成。次いでゲルラッハが3層目の方形の塔を完成させた)。次の建築家はミッシェル・ド・フライブルグ。彼は薔薇窓上部の空間も壁面で埋め、西正面を長方形の大きな壁面とした。3代目の建築家がウルリッヒ・ド・エンシンゲン。彼が下でも述べるように、西正面上部に尖塔を設ける案を計画。最終的には北塔のみとなったが、当初は南塔も建設する計画であった。南塔が建設されなかった理由は資金不足とされている。なんとなく未完成のような気がしないでもないが、142mもの塔が2本も66mの高さの西正面の上に鎮座していたら、非常に頭でっかちな印象を与えていたように思う。

DSC04300.jpg
~レースを纏ったような繊細な彫刻群~

DSC05929.jpg
~薔薇窓の層から上部~

DSC04306.jpg
~西正面拡大部分~圧倒的な存在感~

DSC05934.jpg
~陽が傾き始め、西正面が黄金色に輝き始める~

DSC05939.jpg
~夕陽を浴びる西正面~

DSC05919.jpg
~夕焼けの西正面(2)~

ということで、なんと言っても、ストラスブール大聖堂で最も素晴らしいのは142mに及ぶ西正面北塔だろう。当初、この尖塔を設計したウルリッヒは、ドイツのウルム大聖堂の尖塔も設計した人物。ウルム大聖堂の尖塔が完成したのは19世紀になってからだが、繊細な透かし彫りのデザイン等、共通する点が多い。その後ジャン・ヒュルツに建設が受け継がれ、1439年に完成する。

DSC05930.jpg
~夕陽に染まる尖塔~

当時では世界で最も高い尖塔であり、かつ、中世に完成した尖塔で現在も当時の姿で残っているのはこのストラスブール大聖堂だけだ。その美しさもさることながら、この尖塔が、卓越した技術により建設されたことも証明している。ちなみに、中世でストラスブール大聖堂より高い尖塔を持っていた大聖堂は、ボーヴェー大聖堂(1569年完成、153m、1573年自重を支えきれず崩壊)、ロンドンの聖ポール大聖堂(150m、1240年完成、1561年落雷により崩壊)、リンカーン大聖堂(イギリス、160m、1311年完成、1549年暴風により崩壊)、面白いところでエストニアの聖オラフ教会は何と158mもの尖塔を有していた(1519年完成、1625年落雷により崩壊)。現在、ストラスブール大聖堂より高い尖塔を持つ、ルーアン大聖堂(中央尖塔151m)、ケルン大聖堂(157m)、ウルム大聖堂(161m)はいずれも19世紀になってから完成したもので、中世の尖塔とは呼べない。また、完成はしなかったものの、計画案として最も高い尖塔を目指したのは、ベルギーはメッヘレンの聖ロンバウツ大聖堂で、なんと167m。ただ、97mの高さまで建設されたところで、城塞建設のため資材が使われてしまったことから建設が中断。そのままにされ、現在に至っている。こうして見てみると、ストラスブール大聖堂の尖塔がどれだけ貴重な文化遺産であるか、ということがお分かり頂けると思う。

DSC05796.jpg
~尖塔部分の拡大~

背景はこれ位にし、少し外観について見てみよう。66mの西正面上部から、"Octogone(八角形)"と呼ばれる、透かし彫りとなったフランボワイアン式の繊細な尖塔土台が、四方の角に装飾としても美しい螺旋階段を従えて100mの高さまで伸び、さらにその上に142mにも及ぶ尖塔が聳える。尖塔部分は、上から見ると下部の八角形の土台のそれぞれの角から、まるでブロックを積み上げるように、小さな小尖塔の集まりが、頂上の一点を目指して集約して行き、大きな一つの尖塔を形作る。繊細さ、軽快さ、構造の大胆さ、あらゆる要素を兼ね備えてはるか上方から町と人を睥睨する。これ程美しい尖塔はこの世に存在しないのではないか。ちなみに、この尖塔は、高さ66mの西正面屋上迄上ることができ、そこから間近に仰ぎ見ることができる。螺旋階段を延々と上らないといけないのでかなり厳しいが、アルザスの素晴らしい景色も見ることができるのでお勧めだ。

DSC05772.jpg
~西正面上部から仰ぎ見た尖塔、繊細で軽快な様子がよく分かる~

DSC05891.jpg
~西正面中央扉口の彫刻~

DSC05890.jpg
~西正面右扉口左側の彫刻、一番左が「誘惑者」~

他にも大聖堂の見所は数多くある。まるで壮大な美術館のようで一つ一つ挙げていくと切りが無いが、これも見逃せないのが、西正面及び南入口を飾る彫刻群。数千にも及ぶ夥しい数の彫刻が壁面を満たしているが、どれも写実性に富み素晴らしい。中でも西正面右扉口の「誘惑者」と南翼廊入口の「シナゴーグ」。「誘惑者」は右扉口左側に並ぶ彫刻群の一番左端に位置し、隣に並ぶ3体の「無分別な乙女達」と共に、反対側にある扉口右側の「思慮深き乙女」と対を成す彫刻で、アダムの園の誘惑のリンゴを持ち、背中には、蛇とひき蛙がうじゃうじゃと張り付いている。蛇は林檎と共に堕落の象徴であり、また悪魔の象徴。そしてひき蛙は魔女の象徴と言われている。にやっと笑った顔や、ややふんぞり返った自信有り気な姿は、いかにも誘惑する男を表している。男の甘言には引っかからないように、というわけだ。

DSC06076.jpg
~南翼廊扉口の「エクレシア」、「シナゴーグ」を睨め付ける~

DSC06074.jpg
~「シナゴーグ」、身を捩り「エクレシア」の視線を避ける~

DSC05759.jpg
~「シナゴーグ」、ルーブル・ノートルダム美術館の実物

そして、私が最も素晴らしいと思う彫刻は「シナゴーグ」。南翼廊入口の右側に配置されている。シナゴーグはユダヤ教の象徴で、ここでも、「無分別な乙女」同様、キリスト教の象徴であるエクレシアの像と対をなしている。十字架を掲げ聖杯を持ち、凛とした姿でシナゴーグの方を睨めつめるエクレシアに対し、シナゴーグは盲目の信仰の象徴として目隠しをされ、顔を俯けて逸らし、右手で折れた矢を抱えている。左手には律法の書をしっかりと握り締めている。目隠しによりなお一層、下に隠れた生々しい表情が浮かび上がるように伝わる。上半身をよじり、顔を横に背けた姿が、身に纏った衣の襞の流れるような線と相まって、まるで生き生きとそこに存在しているかのような印象を見る者に与える。体全体の均衡といい、美しい苦悶の表情といい、現実に存在する美女を見ているようだ。シャルトルの素朴な聖人像、ランスの微笑等、ゴシックの素晴らしい彫刻は数多くあるが、私はこのシナゴーグが、ゴシック期の彫刻の頂点であるように思う。ただ、一言付け加えておくと、これらの彫刻は全てレプリカ。実物は傷みが激しく、現在、隣のルーブル・ノートルダム美術館に展示されている。本物とレプリカの写真を両方添付するので比べてみて欲しい(レプリカとは言え、立派なものだと思う)。

DSC06070.jpg
~ロマネスク様式の南翼廊扉口~

DSC05786.jpg
~後期ゴシックの北翼廊扉口~

南入口が出たついでに(と言っては失礼だが)、反対側の北入口も簡単にご紹介したい。こちらはフランボワイアン様式で飾られ、ロマネスク様式の南入口とは異なり繊細で豊か。こうして見ると、着工から完成迄長い年月を掛けたこともあり、ストラスブール大聖堂では、ロマネスクからゴシック・フランボワイアン迄の建築様式の変遷を見ることができる。その他、なんと14世紀に製造された非常に大きな天文時計や、身廊上部に設置された巨大で美しいパイプオルガン、あるいはフランボワイアン様式の説教台等、未だ未だいくらでも見所はあるのだが、あまりに長くなり過ぎたのでこれ位にしておく。

DSC05835.jpg
~天文時計~

ところで、ストラスブール大聖堂を見ていると、ゴシック様式というものは、一体どのようなもので、何が理想形なのだろう、ということを考えさせられる。天を突き刺すような尖塔は、イル・ド・フランスを中心とした、シャルトル、ランス、アミアン等の、所謂「フランス」ゴシックとは明らかに異なる。フランス的なゴシックは、確かにロマネスクに比べれば遥かに大規模であり、天井高は時代を経る毎に高さを増し、アミアンでは42.3m、ボーヴェーに至っては48mにも達するのだが(ボーヴェーは中央交差部に157mにも及ぶ尖塔が16世紀に崩壊する迄は聳えていたが、大聖堂全体の規模と中央に存在することを勘案すれば、中央尖塔の存在が左程全体プロポーションの観点から不均衡だったとは思えない)、それでも全体的な大きさとの調和は保たれ、ただひたすらに度外れな高さのみを追求するというよりは、調和の中にゴシック様式の求めるものを見出しているように思われる。これをフランスゴシックの基準とすると、ストラスブール大聖堂はやはり逸脱した存在であると言わざるを得ないのであろう。
一方、ドイツのゴシックは何を目指したのだろうか。ドイツのゴシックと言えば、有名なものではケルン、ウルム、フライブルグ、といずれも巨大な、そして非常に高い尖塔を有している。ドイツの批評家に言わせると、真のゴシックとは、フランスのように抑制の効いた調和に求めるのではなく、人間の精神性を超えようとする意思の表現であり、これが、ひたすら天を目指し高さを求める尖塔に表されている、ということになるのだそうだ。敢えて誤解を承知で一言で言うと、フランスゴシック=調和・理性vsドイツゴシック=本能(とまで言ってしまうと語弊があるのであれば、裸の精神性とでも言うべきか)ということになるかも知れない。

DSC05925.jpg
~夕方の西正面、段々陽の光が弱まってくる~

少し話は逸れてしまうが、先にストラスブールの歴史について少し話をさせて頂いた際、この町は歴史的にずっとフランスとドイツの狭間に存在してきた、と説明した。と言うより、帝国自由都市として両国の橋渡しの存在であり続けてきた、と言った方が正しいのかもしれない。こうした重要な都市を、フランスにせよ、ドイツにせよ、「この町は自国のものだ」と主張したがるのは容易に想像できる。18世紀末、ストラスブール大学に学んだゲーテは、その著「ゴシック建築について」で、ストラスブール大聖堂を絶賛、「偉大なるドイツ精神の体現」と表現し、同大聖堂はドイツのゴシック建築だ、と断言している。その後、19世紀にかけて欧州全体で起こったゴシック・リバイバル運動(ゴシック建築の復興運動)の流れの中、ドイツ国内にもドイツを代表するゴシック建築を、という動きが起こり、建設が数世紀に亘り途絶えていたケルン大聖堂の完成を見ることになる(ウルム大聖堂も同様)。そして時代は進み、第二次大戦の際にはヒトラーがストラスブールを訪問し、大聖堂をドイツ人の国民的聖域にしようともしたらしい。

寄り道をしてしまったが、このように、ドイツから熱烈に自国の精神・思想を体現した大聖堂だ、と言われ続けたストラスブール大聖堂は、では果たして「ドイツ的ゴシック」なのだろうか。私は個人的にはフランス的ではないと思うものの、かと言ってドイツ的だとも思わないのである。大聖堂本体に不釣合いな尖塔を抱いているという点ではケルンやウルムと共通する部分もあるかもしれない。ただ、ストラスブール大聖堂の尖塔には、ケルンやウルムのような威圧するような重々しさというものが感じられないのだ。ケルン大聖堂は確かに157mもの尖塔を抱き、天井高も43mと高さを追求しているように思われるが、前に立った時の印象は軽快さが全く感じられず、重々しい、むしろ、どっしりと地下に太い根を生やしたような鈍重な建築物、という印象を持ってしまう。ウルムにしても、あまりに尖塔の規模が大きすぎて、尖塔のみが大聖堂、あるいは周りの空間をも支配してしまっているような印象を受ける(それでもケルンよりははるかに天に伸びるような上昇感を与えてはくれるが)。

DSC05942.jpg
~夕闇が降り、ライトアップされた大聖堂~

これに対し、ストラスブール大聖堂は、142mもの尖塔が、それ単体で周りを統括しているという感じは受けず、巨大でありながら繊細さを併せ持つ西正面と一体化して、その延長線上に天に吸い込まれていくような姿で存在しているように思うのだ。その繊細な透かし彫りの姿も相まって、実に軽やかな印象を受ける。調和を超えて上を目指しつつも、そこには明るい人間の理性・知性の可能性の広がり・高みを感じさせる、フランス的ゴシックと、ドイツ的ゴシックの目指したもの両方を兼ね備えているような気がする。フランスとドイツの狭間で育まれてきたストラスブールの町のコスモポリタン的な文化的土壌が、ストラスブール大聖堂にも両国のゴシック様式の理想の融合、という形で体現されているように考えるのはこじつけに過ぎるだろうか。

DSC05950.jpg
~夜が訪れる直前、空が紫から黒に変わっていく~

DSC05943.jpg
~あと少しで光のスペクタクルショーが始まる~

随分と取り留めの無い事を本当に長々と書いてしまった。この大聖堂だけは、あまりにスケール(決して単なる外観の規模のことを言っているのでは無い)が大き過ぎ、感じている事をうまくお伝えすることができないので、これ位で止めておくことにするが、他の大聖堂と同様、ここでも、夏の間、素晴らしい光のスペクタクルを見ることができる。大聖堂前の広場には美味しいアルザス料理を出してくれるレストランがいくつかあるので、ゆっくりと名物のシュークルートとアルザスワインを楽しみながら、日の暮れるのを待つことにしよう(光のスペクタクルは次回ご紹介します)。


スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

ありがとう!

クータンスさん
はじめまして!
数ヶ月前、次回のシュガーアートの題材探し(ロワールのお城群や大聖堂など)で画像検索していてここにお邪魔しました。
友人にもらった絵葉書のアンジェのお城に並んで写っている白い大聖堂に魅かれていましたが・・
こちらのブログで大聖堂をいろいろ拝見していて、アップをお待ちしておりました!
やはり、ストラスブールの大聖堂を!
次回作ろうと思いたちました。(かつて一度アルザスを訪ね、唯一実際に見たものですし)
来秋までにぼちぼち制作していこうと考えています。
ただ、詳細の分かる平面図・立面図の検索をしましたが、手に入れることが出来ませんでした。
沢山の分からないことがあるのですが・・

さてまず、ストラスブールの場合、翼廊の突出はないのでしょうか?
良ければ、ご教授下さいませ。

Re: ありがとう!

Yamashita様

こちらこそ、はじめまして。コメント頂き有難うございます。ストラスブール大聖堂、本当に素晴らしいですよね。翼廊は写真でご覧頂けます通り、突出は殆どないです。やはりロマネスク様式を引きずっているのだと思います。シュガーアートの題材になさるとのこと、すごいですね。平面図、立体図は(どの程度詳細なものがご入用なのか分かりませんが)こちらで買った本には載っていますよ。ただ、このコメントにはファイルの添付、できないですね...。

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
プロフィール

クータンス

Author:クータンス
学生時代からフランスとゴシックの大聖堂に魅せられ、紆余曲折の人生を歩んだ結果、フランス永住の道を選択しました。
ここでは、フランスを中心としたゴシックの大聖堂を紹介したいと思いますが、フランスでは夜になると大聖堂は勿論のこと、殆どの歴史建造物がライトアップされます。また、単なるライトアップのみではなく、いくつかの大聖堂では、素晴らしい光のスペクタクルを見せてくれるところもあります。こういった大聖堂の写真も一緒に載せていきたいと思います。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。