スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

アミアン大聖堂

パリの北に位置するピカルディー県の県庁所在地アミアンの中心部に屹立するアミアン大聖堂は、フランスで最も大規模なゴシック聖堂だ。建造が始められたのは1220年、ゴシック建築が急速な勢いでフランス各地に建立され始めた時期であり、シャルトル、ランスと続く古典ゴシック期の最後に分類される大聖堂である。

DSC01022.jpg
~夕陽を浴びる西正面~

ここで、アミアン大聖堂について語る前に、少しゴシック建築について話しておきたい。サンドニ大聖堂に端を発すると言われるゴシック建築の特徴は、大まかに言って、その高さと壁面を占める窓の多さにある。ロマネスク建築では、大聖堂の自重を支えるため、分厚い壁面が必要であったが、側面の壁のみで支えられる自重には限界があり、あまり高さを追求することができなかった。これに対し、ゴシック建築では、フライングバットレス(飛び梁)及びこれを受ける大控壁を大聖堂の外側に設置することにより自重と屋根に受ける風の横圧力を外に逃がすことに成功し、かつ、バットレスの大きさや形態を自在に変えることにより、より大きな自重に耐えることが可能になったのである。
また、内部構造の点でも大きな革新があった。それまでは、屋根を支える柱が左右の柱を結ぶ交差宆窿となっていたため、壁面全体でその重みを受け止める必要があったが、ゴシック建築では、対角線上の4つの柱に屋根の重みを逃がすという助骨宆窿が採用され、より高い、つまりより大きな自重や屋根に受ける風の横圧力に耐えられる構造を持たせることが可能になった。特に、飛び梁という建築の構造を外にむき出しにするという発想は現代の建築にも通じる斬新なもので、大聖堂の高さや内部構造により、それぞれに適した形態のバットレスが採用されることとなったのである。また時代を経て建築家達が経験を積むにつれ、より効率的なバットレスが採用されていくことになる。よって、初期のものよりは後期に着工されたものの方が形も洗練され、かつ、より大きな自重と風の横圧力を支えることができる構造になっている。
こういった技術的な進歩も、ゴシック建築の高さを求める理想を達成させるために大いに役立っている。このバットレスの技術的正確性、効率性というのは実に素晴しいもので、幾何学しかなかった中世の時代にしては信じがたい技術の高さなのだそうだ。20世紀になって、大聖堂の自重による圧力や統計データに基づく屋根に受ける風の横圧力をバットレスがきちんと支えていることができているかどうかについて、科学的に解析を行ってみると、実に効果的にバットレスが大聖堂を支えていることが証明できるのである。例えばアミアン大聖堂ではバットレスを受ける大控壁の端にピナクル(小尖塔)が装飾物のように置かれているのだが、これを解析すると、バットレスが大聖堂の自重を支えきれずに外に崩れるのをピナクルの自重により相殺させ防いでいるのが分かるのだそうである。他にも多くの大聖堂で、このようなほんの小さな工夫が大聖堂の全体のバランスを保つのに役立っていることがしばしばある。中世の人々の創意工夫には驚かされるばかりだ。

DSC01004_convert_20100108080855.jpg~外陣の大規模なバットレス~

DSC01076.jpg~ライトアップされたバットレス~

こうして分厚い壁面で大聖堂を支える必要がなくなったことから、壁に大きな窓を穿つことが可能になったわけだが、これらの窓には色とりどりのステンドグラスが嵌め込まれることとなった。これは当時のキリスト教の布教及び大聖堂建設費用の捻出と密接に関連している。一番の理由は、一般市民の啓蒙のためだ。当時の市民は文盲が殆どであったため聖書を読むことができなく、彼らにキリストの生涯や聖書の内容を理解させるためには視覚に訴える必要があった。教会関係者にとって、ステンドグラスは視覚でもってキリスト教を市民に伝える格好の教材であったわけだ。まず身近に目に触れることのできる大聖堂下部には聖人の生涯や、最後の審判等の聖書に出てくる物語や題材が、鉛の太い線で区切られたコマ割りによって描かれた。下から上に、ステンドグラスを見上げていくとその物語が理解できるという仕組みである。そして上方の窓からは、下部のステンドグラスでその生涯が描かれていた聖人達の像が巨大な姿でもって市民を見下ろしている。自分達のはるか上方から、かつ巨大な姿でもってというのが、市民に聖人達の偉大さをより認識させることになった。こうして、市民達はステンドグラスでもってキリスト教をより身近に理解することができるようになったのである。もう一つの理由はより実際的なものである。大聖堂の規模は現在の我々から見ても圧倒的なもので、例えばアミアン大聖堂では当時の市民全てを収容できる規模であった(当時のアミアンはフランス国内でも有数に栄えた都市で人口は約1万人、現在の大規模都市の人口を百万人として市民全てが収容できる施設を想像すると、当時の人々がアミアン大聖堂を仰ぎ見たその規模の桁外れの大きさが理解できると思う)。当然、そのような大規模建築物の建立には莫大な資金が必要となる。よって大聖堂の建設を仕切る役目を担っていた教会参事会は市民からの寄付を募ることとなり、寄付をすれば神の国に召されると信じていた当時の人々は挙って寄付に応じた。なかでも当時相当な資金力を持っていた商人達は多額の寄付を行ったらしい。これら商人達の献身的な行為に報いるため、教会側は彼らの商売をステンドグラスの題材に用いた。特に一般市民の目に留まるステンドグラスの下部にである。今でも多くの大聖堂で、ステンドグラスの下部を良く見てみると、豚肉を切っている肉屋、魚を量り売りしている魚屋等、商人が題材となっている微笑ましいステンドグラスにお目に掛かることができる。
話をアミアン大聖堂に戻そう。こうしたゴシック建築の中でも、アミアン大聖堂は代表作の一つに数えられ、かつ規模の上でもフランスのみならず欧州全体で見ても最大規模を誇るものである。少し例を挙げてみよう―
               天井高        全長
パリ大聖堂        32m        127.5m
シャルトル大聖堂    36.55m     130m
ランス大聖堂       37.95m     138.7m
ブールジュ大聖堂    37m        120m
アミアン大聖堂      42.30m     145m
ボーヴェー大聖堂    48m       (内陣を残して崩壊)
ケルン大聖堂       43.5m      144.6m
パルマ大聖堂       44m        121m
パリ、シャルトル、ランスは言わずと知れたフランスの著名な大聖堂である。ブールジュは意外に知られていないが、上述の通りフランスでも最大規模の大聖堂であり、また13世紀のステンドグラスを数多く残すことでも有名でユネスコの文化遺産に指定されている。ただ、翼廊がないことから異色の扱いをされ、あまり知られてはいないのだが上記の3大聖堂に匹敵する規模の大聖堂なのである。しかしながらそれでもアミアン大聖堂には一歩譲ることとなる。ボーヴェーはアミアンを凌ぐ高い天井(ゴシック建築史上最も高い)を有しているが、中央尖塔及び内陣の一部が自重を支えきれず崩壊する事故があり、その後再建されず半ば廃墟のような姿を止めているのみで同列に比較することはできない。ドイツのケルン大聖堂も天井の高さでアミアンを凌ぐが、殆どの部分が19世紀の産業革命以降に建設されたもので、中世の自由な精神を反映した純粋なゴシック建築とは言えない。唯一スペインのマジョルカ島にあるパルマ大聖堂のみが中世に建設されたゴシック建築でアミアンに比肩し得る規模のものであるが、他のゴシック大聖堂とはかなり異なった異色なゴシック建築で(詳細は次回以降にお話させて頂くが)、我々が一般的にゴシック建築として思い浮かべる大聖堂の中では、やはりアミアン大聖堂が最大規模になるのである。また、西正面扉口及び中階層にあるギャラリーの数多くの彫刻群は一級品のゴシック期の彫刻に数えられており、40m以上の天井を支えるフライングバットレスは繊細かつ大胆、後方から見た様は多くの白鳥が飛び立つかのようであり実に印象的である。

DSC00947.jpg
~内陣薔薇窓~

DSC00926.jpg
~広大な内部空間(1)~

DSC00939.jpg
~広大な内部空間(2)~

DSC00934.jpg
~広大な内部空間(3)~

にも拘らず、何故か私にはこのアミアン大聖堂が、ゴシックの大聖堂として心に迫るものとして訴えかけてはこないのである。あまりにもうまく纏まり過ぎているということもあるし、巨大過ぎて身近に感じられないということもある。また、中に入った時、ステンドグラスの量が少なく(殆どの窓に白の擦りガラスが嵌め込まれている)、巨大な空間もあって何か白々しい印象を与えるということも一因となっているかも知れない。ランス大聖堂もそうだが、建築史上ゴシックの理想に近い形として取り上げられるこの2つの大聖堂はいずれも私には真に美しい大聖堂として捉えることができないのである。完成され過ぎて逆に特色がないというか、何か個性に欠けるものを感じてしまう。あくまで個人的な感覚で、この2つの大聖堂が素晴しい一級の芸術作品であることには変わりないのだが。
ただ、このような違和感を持つものの、夜のアミアン大聖堂のライトアップショーは、数あるゴシック大聖堂のライトアップの中でも1、2を争う素晴しいものだと思っている。
90年代末、風月に晒され、真っ黒に薄汚れてしまった西正面の大掃除を行った際、中世に扉口の彫刻群に当初彩色されていた絵の具の跡が出てきたのである。現在の我々の感覚からすると若干けばけばしい感じがするのだが、アミアン大聖堂に限らず、大聖堂の彫刻は当時は極彩色で彩られていたそうである。で、そこは文化大国のフランス、学術的な研究・調査もさることながら、当時の極彩色に彩られた西正面扉口を再現しようではないかということになった。しかも、ただ同じ色でもう一度塗り直すなどという芸のないやり方ではない、ライトアップとして全ての彫刻に当時あった色を映像として映し出すという実に斬新な方法を考え出したのである。中央及び左右の扉口の聖人像と扉口上方の最後の審判等の聖書の主題を描いた彫刻全てが、夏の間と12月にのみ、実に鮮やかな色彩の交響楽を奏でるのである。約40分続くスペクタクルは以下の通り展開される-
最初はどこにでもある通常の白色のライトが西正面に当てられている。さっとライトが消え、西正面中央にあるバラ窓のみが内部から当てられた照明により暗闇の中に浮かび上がる。次に真っ暗な西正面上に白い線で形取られた彫刻群が古代の模様のように現れてくる。そして徐々に、扉口の下の方から赤、緑、黄、青といった実に鮮やかな色彩を纏った聖人が立ち現れてくるのである。幻想的な音楽に合わせ、この最高のショーは西正面の様々な箇所に焦点を当てながら展開される。全体が極彩色を帯びたかと思うと扉口を除いてはまた暗闇に没し、その暗闇に霧のような白い波模様が風に靡くかのように流れていく。見物客達はただただ溜息を洩らしながらこの幻想的な光の叙事詩に見とれるばかり。どのような技術でこれほど鮮やかな色彩を映し出しているのか分からないが、間近まで近づかないと本当に絵の具で塗ったかと見紛う程である。我々の目からすればけばけばし過ぎるとも取れるこの色彩の大段幕を、中世の人々は一体どのように捉えていたのであろうか。今と違ってまだまだ人間の理解できないこと、知識の範囲外のことの方が多く、生活そのものが不安に満ちていた中世の世界では、むしろこういった色鮮やかな世界に暗い現世から開放された天の国の輝きを見出し、憧れを持っていたのかも知れない。

DSC01032_convert_20100108082351.jpg
~ライトアップ(1)~

DSC01048_convert_20100108082529.jpg
~ライトアップ(2)~

DSC01051_convert_20100108082644.jpg
~ライトアップ(3)~

DSC01057.jpg~ライトアップ(4)~

DSC01065.jpg~ライトアップ(5)~

DSC01059.jpg~ライトアップ(6)、全て照明による色彩~
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

クータンス

Author:クータンス
学生時代からフランスとゴシックの大聖堂に魅せられ、紆余曲折の人生を歩んだ結果、フランス永住の道を選択しました。
ここでは、フランスを中心としたゴシックの大聖堂を紹介したいと思いますが、フランスでは夜になると大聖堂は勿論のこと、殆どの歴史建造物がライトアップされます。また、単なるライトアップのみではなく、いくつかの大聖堂では、素晴らしい光のスペクタクルを見せてくれるところもあります。こういった大聖堂の写真も一緒に載せていきたいと思います。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。