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シエナ大聖堂(イタリア、トスカーナ)

ピサの次は中世都市シエナ。フィレンツェから南に7、80km程のところにある、トスカーナ州シエナ県の県庁所在地だ。

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~プッブリコ宮のマンジャの塔から見たシエナの街並みと大聖堂~

小高い丘に犇くように中世の街並みが所狭しと立ち並ぶこの町は、現在は観光都市として有名だが、中世の時代には、フィレンツェと肩を並べる一大都市だった。同じトスカーナにあるピサや、ヴェネツィア、ジェノヴァなどは海洋国家として栄えたが、内陸にあるシエナは金融都市としてその勢力をヨーロッパ各地に伸ばし、はるかフランス、英国、ドイツ、フランドルに迄金融ネットワークを張り巡らしていた。例えばイタリア最古の銀行「モンテ・ディ・パスキ」は現在でもイタリア有数の銀行だが、本店は設立当初よりここシエナにある。

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~マンジャの塔から「世界一美しい」と言われるカンポ広場を見下ろす~

一方、同じトスカーナにある近隣都市のフィレンツェも、金融業を生業にして大きく成長し、両都市はトスカーナにおける覇権を巡り、ことある毎に対立していた。また、当時、神聖ローマ帝国皇帝とローマ教皇との争いに、北イタリアを中心とした各都市がいずれかの派につき、皇帝派、教皇派として勢力争いを続けていたが、シエナは皇帝派、フィレンツェは教皇派に別れ、政治的対立と2都市間の覇権争いが絡みながら、熾烈な争いを繰り広げていく。ついには武力衝突へ発展、1260年にシエナ近郊で勃発したモンタペルティの戦いで、シエナはフィレンツェを破り、一旦はトスカーナ地方を勢力下に収めるものの、その後フランスと手を組んだ教皇派が力をつけ、皇帝派のシエナは劣勢となる。そして、僅か9年後の戦いで、シエナはフィレンツェ・フランス連合軍に全面敗北し、その後次第にフィレンツェに遅れを取っていくようになる。この両都市間の差は、14世紀半ばにシエナの町を襲ったペストの大流行による人口激減もあって、以降拡大の一途を辿り、現在でも、トスカーナ地方最大の都市として栄えるフィレンツェに対し、交通の要衝からも取り残されたシエナ(現に、ピサからシエナに行く場合も、直線距離では100km程なのだが、直通の幹線道路がないことから、フィレンツェ経由で行かざるを得ず、2時間もかかってしまう)は、観光都市として、人々の注目を集めるに過ぎなくなってしまった感がある。

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~マンジャの塔~

イタリアというとルネサンス文化を連想してしまうが、上記のような背景で、シエナが最も栄えたのは、1260年の戦争に勝利した13世紀半ばからペストによる災禍を蒙る14世紀半ば位迄、ルネサンスが花咲く時期には衰退の途にあり、一時代前の芸術様式であるゴシック様式の建築物が多く、ゴシック都市と言われている(尤も、またもや繰り返しになるが、あくまでイタリア風ゴシックのことで、フランスに見られるゴシック建築が数多く残っている、というわけではない、あくまで、ゴシック期に芸術が最も花開いた、ということだろう)。

ということで、シエナを代表する2つの建築物、シエナ大聖堂及びプッブリコ宮はいずれもゴシック様式で建てられているが、プッブリコ宮はさらっと見ることにして、イタリアゴシックの傑作と言われる、シエナ大聖堂をゆっくり訪ねることにしたい。

DSC07109.jpg~シエナ大聖堂~

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~大聖堂全景、マンジャの塔から見る~

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~大聖堂側面、大きな窓もなければフライングバットレスも無く、素っ気無い~

シエナ大聖堂こそが、最もイタリア的なゴシック大聖堂と言っても良いだろう。イタリア的というのは、ミラノ大聖堂のところでお話した通り、一般的なゴシックの特徴は殆ど備えていない、ということだ。写真をご覧頂ければお分かりのように、フランスのゴシック建築とは程遠い様式となっている。まず、ゴシック建築の特徴を備えている点は、尖頭切妻、薔薇窓(非常に小さいが)、堂内では上昇感の乏しいゆるやかな天井の尖頭アーチ位のものだ。フライングバットレス、側面の大窓は無く、また、どう見ても垂直性を有する建築物とは言えない。以前、ラテンの気質の混じるフランスでは、ドイツで極端に重要視された垂直性に抑制の利いた均衡・調和という要素が入った、というような趣旨のことを言ったが、ここイタリアでは、この均衡・調和というものがより重視され、垂直性という要素が霞んでしまったように思える。北に比べ、暖かい大地では外界・自然を恐れる気持ちも左程強くなく、ひたすら天を目指す神の家を建設するというような考えが発展しなかった、ということなのだろうか。また、外部を概観する時、西正面のみが細部迄装飾で施され、美しく着飾っているのに対し、側面、後部は驚くほど簡素だ。華麗で繊細なフライングバットレスで飾られた美しいフランスの大聖堂の側面、後部と比べると違いは明らかだ。フランスは建築物をあくまで一つの存在と見ているのに対し、イタリアでは正面のみが着飾るべき対象であり、絵画のように平面で捉えているように思える。歴史建造物を見ていると、建設当時の人々の置かれている環境、考え等が様式に反映されているような気がして大変面白い。

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~大聖堂西正面~

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~西正面を見上げる~

とは言うものの、シエナ大聖堂がイタリアで最も美しいゴシック建築の一つであることは間違いない。聖母被昇天大聖堂と名付けられ、聖母マリアに捧げられた大聖堂。大理石がふんだんに使われた、白・薄紅色を基調にした西正面、白と暗緑色とのコントラストが見事な側面及び中央交差部南側に配置された尖塔は、輝かんばかりに美しい。着工は1220年代(正確な年については、記録が残っていないらしい)、アミアン大聖堂と同じ時期に建設が始められた。1259-1260年頃には天井と翼廊が、1264年には中央交差部ドームを含め大部分が完成、かなり早いペースで建設が進められたことが分かる。

DSC07204.jpg~西正面を斜め前から仰ぎ見る~

イタリアで最も華麗と言われる西正面は、上下2層に分かれ、中央、左右計3つの扉口及びその上部に掛けられた切妻装飾からなる下層と、中央薔薇窓と中央、左右の3つの切妻部分にモザイク画が施された上層から構成される。下層は1284年に建設が始められ、上層は薔薇窓が1288年に設置されたものの、一旦建設が中断、1376年になってようやく再開された。

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~大聖堂左に見えるのが未完に終わった新西正面と新外陣側廊、巨大さが良く分かる~

シエナ大聖堂の建設の歴史の中で最も注目すべき事は、未完に終わったが、壮大な拡張計画が立案・着工されたことだ。1339年、ライバルのフィレンツェで建設中だった巨大な大聖堂に対抗すべく、とんでもない計画が持ち上がった。既に完成していた外陣を翼廊にし、今ある翼廊を南に大きく伸ばして現在の外陣の倍の長さとなる外陣を建設しようというもの。つまり、大聖堂を90度回転させ、2倍の規模にしてしまおう、という計画だった。結局、新しい外陣の南側側廊及び新西正面の壁面を建設したところで、ペストがシエナの町を襲い工事は中断され、その後は町の衰退に伴う建設費不足から、永遠に建設が再開されることはなかったが、現在のシエナ大聖堂の全長が104m(拡張工事が完成していればこれが幅の長さになる)、フィレンツェ大聖堂の翼廊幅が90mだから、とてつもない規模の大聖堂が出来上がったことになる。これは高さの点でも同じことが言える。現在の大聖堂の天井高が25mとなっているが、写真の通り、横から未完の新西正面の高さを見てみると、現在の中央交差部のドームと同じ位の高さがあることが分かる。同じくフィレンツェ大聖堂の天井高が43mだから、これよりも高い天井となっていたのではないだろうか。もし完成していればイタリアのみならず、世界最大のゴシック大聖堂となっていたかも知れない。ただ、「箱」としての、この途方もない巨大な大聖堂の建設を断念せざるを得なかったからこそ、細部を装飾で飾ることに熱意が向けられ、今ある美しい西正面と内部を持つに至ったとも言うことができるので、やはり歴史には、「もし」を考えるのは詮無いことなのだろう。

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~薄紅色の大理石が美しい~

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~夥しい数のガーゴイルと彫刻~

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~大理石の縞模様が見事~

さて、全体的な話はこれ位にして、一つ一つ見ていこうと思う。まずは西正面。これがゴシックかどうか、ということを抜きにして、実に美しい西正面だ。薄紅の勝った大理石を中心に繊細な色合いで構成され、人物像やガーゴイル(怪獣の形をした雨の排水口)、文様等が所狭しと一面に飾られ、配置されている。そして上層には先にも述べたように、金色を背景にした絢爛と輝く極彩色のモザイク画。これでもかと言う位多くの装飾で満たされているが、決して過剰にはならず、洗練された品の良い美しさがそこにはある。ただ、あくまで平面的な印象、絵画のようなイメージだ。フランスのゴシックのように堂内の構造が西正面の構成から見て取れるということはなく、全体から独立して西正面のみが存在している感じだ。あと、下層から上層に向かって連続して伸びる線がなく、垂直性が分断されているのも特徴だ。一方、下層、上層を中央、左右側面、と分割して見た場合、大変バランスが良いのが分かる。やはり絵画的に捉えるべきなのだろう。側面は簡素ながらも白と暗緑色の横縞のコントラストが美しい。

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~真横から尖塔を見る~

そしてその奥には中央部分に尖塔が聳える。これも白と暗緑色の横縞が幾重にも重なって塔を構成している。また、飾り窓が低層の一つから上層に上がるに従って、2、3、4と増えていき、頂上部分の四隅の小尖塔への連続した繋がりを見せ、上方に向かって収斂するのではなく、開放していくような印象を与える。こういった視覚効果もフランス等では存在しないものだ。

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~洗礼堂天井のフレスコ画~

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~フレスコ画拡大部分、「最後の審判」の主題~

ピサでは本堂の前にあった洗礼堂は、後部は内陣の地下に当たる部分に地面の高低差を利用して置かれている。薄暗い堂内の天井には鮮やかなフレスコ画が一面に描かれている。

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~外陣身廊から内陣の方を見る~

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~中央ドームと身廊天井~

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~内陣と天井~

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~美しい大理石の横縞模様~

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~側廊アーケード、あらゆる所まで装飾、彫刻で埋め尽くされている~

次に堂内に入ってみよう。この堂内の装飾が、未完に終わった拡張計画の代替なのだとしたら、その意思は余程強いものだったのだろう、それ位、一面装飾で埋め尽くされている。まず目に付くのが外部と同様の、横縞の白と暗緑の大理石のライン。列柱が規則正しいアクセントでもって奥へと連なる。垂直性よりも水平性・奥行きを強調した構成。

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~中央ドーム~

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~説教壇ごしに中央ドームを見る~

天井は暗青色の彩色がなされ、中央の丸天井には星型の模様が描かれている。まさに夜空を仰ぎ見るよう。翼廊と外陣身廊を結ぶ部分には、ニコラ・ピサーノの手になるゴシック様式の説教壇。非常に繊細な彫刻群が実に見事だ。

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~内陣薔薇窓~

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~西正面薔薇窓~

ステンドグラスの数は限られているが、西正面、内陣に嵌め込まれた美しい薔薇窓も見応えがある。内陣にあるのは13世紀に製作されたイタリアでも最も古いステンドグラスの一つ(但し、オリジナルは併設の美術館の保管されており、大聖堂のものはレプリカ)、一方、西正面のものは、16世紀の最後の晩餐を主題としたステンドグラス。どちらも鮮やかで深い色合いが美しい。


DSC07165.jpg~ピッコロミーニ図書館(1)、この色彩の美しさ!~

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~(2)~

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~(3)~

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~(4)~

DSC07161.jpg~(5)ピウス二世の生涯の場面~

DSC07163.jpg~(6)ピウス二世の生涯の場面~

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~(7)、天井~

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~(8)、ピウス二世の生涯~

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~(9)、天井の美しい色彩~

そして何よりも素晴らしいのは、北側廊にあるピッコロミーニ図書館。1492年に、時のローマ教皇ピウス三世が、叔父であり、先代の教皇であったピウス二世、本名アエネアス・ピッコロミーニが持ち帰った蔵書や写本を保管するため建設を命じたもので、壁一面にピウス二世の生涯が、ルネサンス期の画家ベルナルディーノ・ディ・ベット(ピントリッキオ)によるフレスコ画で描かれている。この図書館の素晴らしさはとても言葉では表現できない。写真で少なからず関心を持たれた方は是非一度訪れて欲しい。これを見るだけでも、わざわざシエナに立ち寄る価値があると思う。まず入口から一歩入った瞬間、目も眩むばかりの鮮やかな色彩に圧倒され、立ち尽くしてしまう。赤、黄、緑、青、原色の美しさが、ピウス二世の生涯のそれぞれの場面を描いた絵画、あるいは天井に描かれた装飾模様の中で比類の無い輝きを放ち、見る者を圧倒する。まさしく、「圧倒される」という言葉が相応しく、フレスコ画それ自体が光を放っているように見える。これほど華やかな、眩しい、そして色鮮やかな空間というものはどこにも無いだろう。それでいて、けばけばしさなど微塵も無い、節度の効いた洗練さがあるのみだ。また、側面のフレスコ画の視覚効果も見事だ。遠近法を巧みに利用し、平面の壁に描いているにも拘らず、円形アーチの奥に各場面が描かれているような立体感を生み出している。登場人物も繊細で生き生きと描かれ、実に素晴らしい。

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~フレスコ画の中に~

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~イザベル・ユペールに似た美人を発見~

中に、吃驚するような美人を発見した。入口を入ってすぐ右側にある、「ピウス二世がアラゴンのエレオノール(ポルトガル王妃)を神聖ローマ皇帝フレデリック三世に引き合わせる」を主題としたフレスコ画に、本図書館に描かれたピウス二世の生涯のフレスコ画の費用を出したスポンサー、アンドレア・ピッコロミーニの妻が描かれているのだが、この女性がフランスの女優、イザベル・ユペールにそっくりなのだ。言わずと知れた、カンヌ映画祭の審査委員長迄をも務めたフランスの大女優で、流石に今ではかなりお歳を召されてしまったが、30代に撮られた「ボヴァリー夫人」の頃の彼女は本当に美しかった。昔から私は彼女の大ファンなのだが、その彼女にあまりに似ていたので驚いてしまった。大聖堂内で不謹慎ながらも、どきどきしながら、しばらくの間眺めさせて頂いた。

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~床の象嵌パネル~

先程、堂内は一面装飾で埋め尽くされている、と言ったが、ここは床迄も装飾で満たされている。何と総面積3000㎡にも及ぶ、56個の大理石の象嵌パネルが嵌め込まれているのだ。残念ながら殆どが修復中でダンボールの覆いがされていた(もしくは上を歩くと磨り減ってしまうので、常時覆いが被されているのかも知れない)が、一部その美しいパネルを見ることができた。中には嬰児虐殺なんていうあまり見たくない主題もあったが。

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~ライトアップ、やや薄暗く、日中の華やかさはない~

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~ライトアップ(2)~

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~ライトアップ(3)~

いやあ、ぐったりと疲れてしまう位見所だらけの大聖堂だ。ここまで美しいと、ゴシックだとか違うとかは、もうどうでも良くなってくる。いつもの如く夜景の写真を撮るために、夕食を食べてから再び大聖堂前に戻ってきたが、暗めの照明が当たっているのみで、あまり印象的ではなかった。昼間あれだけ豊かな色彩で美しく語りかける大聖堂なのだから、夜に改めて人工の光など当てる必要はないのかも知れない。シエナには2日滞在したのだが、他には殆ど観光できなかった。狭い路地の両側には未だに中世の街並みが残っている町。今度また是非ゆっくり来てみたいと思う。


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プロフィール

クータンス

Author:クータンス
学生時代からフランスとゴシックの大聖堂に魅せられ、紆余曲折の人生を歩んだ結果、フランス永住の道を選択しました。
ここでは、フランスを中心としたゴシックの大聖堂を紹介したいと思いますが、フランスでは夜になると大聖堂は勿論のこと、殆どの歴史建造物がライトアップされます。また、単なるライトアップのみではなく、いくつかの大聖堂では、素晴らしい光のスペクタクルを見せてくれるところもあります。こういった大聖堂の写真も一緒に載せていきたいと思います。

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