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アーヘン大聖堂(ドイツ)

復活祭の連休を利用してドイツに行ってきた。目的は例のごとく当然ゴシック大聖堂見学なのだが、子供達がふてくされるのが目に見えているので、「ドイツの大きな美味しいソーセージを食べに行こう!」という口実にして旅行に出掛けた。ただ、これは結果的にはあながち嘘にはならず、30cm位の、大きくて皮のパリっとしたソーセージは本当に美味しく、地ビールと共に我々大人も十分満喫できた。

DSC08155.jpg~カイザードーム、アーヘン大聖堂~

というわけで、今回行ったのはアーヘンとケルン。アーヘンは前から行ってみたかった大聖堂のある町で、フランスには殆ど無い集中式と呼ばれる円形(アーヘンの場合は正確には八角形)の大聖堂がある。ケルン大聖堂は何度も引き合いに出しているが、アミアンと並び世界最大のゴシック建築であるにも拘らず、鈍重だとか、いつも辛口のコメントをしているので、きちんとご紹介しておこう、と思った次第だ。

DSC08123.jpg~北側から見た大聖堂~

まずはアーヘン。今回行くのは始めてなのだが、ベルギーとの国境近くにあるとは言え、パリから僅か420km程、ストラスブールに行くより近い。ドイツは思ったよりかなり身近だった。この町はヨーロッパの歴史上、大変重要な町なのでご存知の方も多いと思うが、簡単にご紹介させて頂く。ちなみにアーヘンとは、「水・泉」の意味、この地に温泉があった(今でも温泉のある観光地としても有名)ことからこの名前で呼ばれ、ローマ時代から温泉保養地として知られてきた。中世の時代には、西ヨーロッパの大部分を支配していたフランク王国の首都が置かれたことから、その後大いに発展していく。また、936年の神聖ローマ帝国オットー一世がここアーヘンで戴冠して以降、1531年のフェルディナンド一世の戴冠迄、歴代のドイツ国王がこの地で戴冠を行うなど、宗教上も非常に重要な地として栄えた(ちなみにアーヘンに首都を置いたシャルルマーニュの死後、フランク王国は東・西・中部の3国に分割され、西フランク王国がカペー朝フランス王国として今あるフランスの原型となり、東フランク王国が神聖ローマ帝国としてドイツの原型となっていくのだが、元は一つのフランク王国だったため、フランスもドイツも国の始まりはフランク王国としている、なんだかややこしい。領土争いが現代になる迄絶えなかったわけだ)。

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~ゴシック様式の市庁舎~

さて、パリから車でベルギーを通過して4時間強、アーヘンの町に着いた。歴史都市なので、古い街並みが綺麗な町なのだろうと思っていたら、結構大きな近代都市で、旧市街が残っているのは大聖堂を中心とする一部のみであった。蛇足ながら、アーヘンはフランス語ではエクス・ラ・シャペル、「泉の礼拝堂」という意味、礼拝堂は大聖堂があるからなのだが、またフランス風に勝手に人の国の都市の名前を変えて呼んでいる。アーヘンを単にフランス発音で「アーシャン」と呼べばいいのにと思う。まあ、元は自分の国だった、と思っているのだろうから仕方がないかもしれない。

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~大聖堂西正面~

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~大聖堂の模型、いくつかの建物がくっついているのが分かる~

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~西尖塔と八角礼拝堂~

歩いて10分位のところのホテルに荷物を置いて、早速大聖堂に向かう。アーヘン大聖堂は上記の次第から、「カイザードーム(皇帝の大聖堂)」と呼ばれており、規模はそれ程大きくないにも拘らず、他にはない独特の風格を持っている。元々はシャルルマーニュが8世紀末に建設を命じた宮殿礼拝堂で、その後15世紀前半迄の長期間に亘って、様式の異なる建造物が追加されていき、外観はいくつかの建物がくっついたような姿になっている。ちなみに、後程詳しくご紹介するが、ゴシック様式で建てられているのは内陣部分。

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~ゴシック様式の礼拝堂及び内陣~

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~内陣から西正面方向を見る~

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~迫力ある内陣部分~

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~「光の家」~

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~八角形の王室礼拝堂~

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~中央ドームを見上げる~

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~周歩廊、壁面、天井全て金のモザイクで埋め尽くされている~

簡素な美しい単塔を備えた西正面の入口から入ると、続くのは大聖堂で最も古い部分となる八角形礼拝堂。中央部分にドームを冠し、周りに周歩廊を備える。その他の都市の大聖堂と比べると小規模だが、建設された当時は、北ヨーロッパでは最大の教会建築であったそうだ。ここで少し、上記で触れた集中式という建築様式について説明したい。ここでご紹介しているゴシックやロマネスクの大聖堂・教会堂はラテン十字式という十字架の形をしたものばかりだ。つまり、教会堂を十字架に譬え、内陣をキリストの頭、翼廊を広げた両手、足を外陣に対比させるものだ。この建築様式は中世以降主流となっていくものだが、中世初期には、集中式という円形(または八角形等)の教会堂も多く存在していた。これは円形の天井から神が降りてくる(あるいは上っていく)ということを象徴しているもので、一方、ラテン十字形は、キリストの受難を堂内にいる信者が同じように実感することを意図するものであった。双方とも存在意義はきちんとあるのだが、後者が廃れていった利用は実際的なもので、都市の人口が増加するに伴い、より多くの信者を収容する教会堂を建設する必要性が生じてきたことから、 大規模な建設が可能なラテン十字式の教会堂が主流を占めていくことになっていったわけだ。

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~2階から下を見下ろす~

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~2層目の円柱の方が細いのが分かる~

擬似3層式の2階建の8角形建築物の上部に高さ33mのドームが置かれる。2層目から3層目にかけて円柱が細くなっていき、ドームへと繋がる構成が、天へと昇っていく上昇性を強調している。また八角形の「八」という数字もここでは重要である。八は七に続く数字、七は、神が地上の世界を創造することに費やした7日間を表す数字で、8はその次に来る数字、つまり、8という数字は、人間と世界の限界を示す7を超えるもの、そこから新たなものが始めることを意味する神秘的な数字、神の力を想起する数字として中世の人に捉えられていた数なのだ。大聖堂は聖地エルサレムの象徴として建設されたということは良く言われることだが、正しく、「神の家」を、人知を超える数字、8で表しているということになる。

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~モザイク画~

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~2階周歩廊より中央ドームを見上げる、金色の色彩~

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~中央ドームから光が降り注ぐ~

礼拝堂の中心に立ち、上を見上げると眩いばかりのモザイク画の金色の色彩が目の前に降り注ぐ。モザイクはロマネスク以前にイタリアで広まった壁面を埋める芸術形態であり、この礼拝堂の建設が、8世紀末という、ロマネスク以前の非常に古い時期に行われてことを意味しているのだが、残念ながら、現存するモザイク画は19世紀のもの。18世紀に一旦フレスコ画に置き換えられたものの、19世紀に再度モザイク画が嵌め込まれたのだ。往時のものでないにせよ、当時の人々が天井を見上げた時に抱いたであろう、神の世界へと誘われるような感覚は十分に味わえる。

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~王の玉座~

ここアーヘン大聖堂には、その宗教上の重要性から、数々の聖遺物や宝物が集められ(大部分は現在、大聖堂に隣接する宝物館に陳列させている)、歴史的に多くの信者を引き付けてきたのだが、中でも特筆すべきは、2階の周歩廊に置かれている、「王の玉座」だ。これは936年のオットー一世の戴冠式に用いられて以降、全ての王の戴冠式に用いられてきた玉座だ。ある文献では、別の場所でではあったようだが、シャルルマーニュもこの玉座に座った、と記されており、何の飾りも無い、質素な椅子ではあるが、ヨーロッパに住む者として、中世の歴史を見届けてきたこの椅子は見ておかなければならない、と思わされるものであった。

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~内陣にあるハインリッヒの説教壇~

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~シャルルマーニュの聖遺物箱~

その他にも、数々の素晴らしい宝物や装飾で飾られているが、礼拝堂の中心部に吊るされている1165年の黄金のシャンデリアや、これからご紹介するゴシックの内陣にある11世紀初めのハインリッヒの説教壇など、見るべきものが非常に多い。

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~「光の家」、ステンドグラス化したゴシックの内陣~

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~壁面はステンドグラスで埋め尽くされている~

DSC08527.jpg~一面が光の壁~

DSC08517.jpg~内陣北側~


DSC08518.jpg~内陣先端部分~

さて、ようやくゴシック様式で建設された内陣について説明させて頂く。シャルルマーニュによって建設された八角形礼拝堂は、当時は非常に大規模な建築物であったものの、時代を経るにつれ、アーヘンの町の重要度の高まりや発展による人口の増大、または、各地から訪れる巡礼者達のために、1355年、大聖堂参事会は新たな内陣を増設することを決定する。約50年に亘る建設期間を経て、1414年、シャルルマーニュの没後600周年の年に、「硝子の家」と称される、このゴシック様式の礼拝堂が献堂される。

DSC08516.jpg~光の宝石箱の中にいるよう~

DSC08526.jpg~聖遺物箱のケースにステンドグラスが映る~

設計したのはケルンから来た建築家、とされているが、私は間違いなく、設計者はパリのサント・シャペルを見たことのある人物だと思う。これは正しく光の家、壁面全てがステンドグラスで埋め尽くされている。幅13.2mに対し天井高なんと32.2m、垂直にそそり立つ壁面は、非常に細い剣のような形をしたステンドグラスの列で満たされる。この様式は、1248年に献堂されたサント・シャペルにそっくりだ。サント・シャペルはフランスの王宮礼拝堂、ドイツ(神聖ローマ帝国)の王が隣国フランスへの対抗心から、同じような光の礼拝堂を我が足元に、と思ったとしても不思議では無い。礼拝堂に占めるステンドグラスの面積は延べ約1,000㎡、シャルトル大聖堂に嵌め込まれたステンドグラスの面積は約2,000㎡なので、この狭い礼拝堂の壁面がどれ程のステンドグラスで占められているかがお分かり頂けると思う。

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~拡大部分(1)~

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~拡大部分(2)~

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~拡大部分(3)~

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~拡大部分(4)~

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~拡大部分(5)~

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~2階周歩廊~ステンドグラスを見る~

現在嵌め込まれているステンドグラスは20世紀に制作された三代目。当初のものは17世紀の火災で焼失し、二代目は第二次世界大戦の爆撃で失ってしまった。今見るものは1951年に修復された新しいステンドグラスだが、青、赤、緑を主体にした深い色彩が前面、左右、上部から、文字通り「降り注ぐ」様は圧巻で、光と色彩の世界に浮かんでいるかのような感覚に囚われる。また、ストラスブール大聖堂のところでも話したが、フランスのステンドグラスが殆ど青と赤が主体であるのに対し、北ヨーロッパでは同2色に加え、緑も良く使用されるのも特徴。

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~1階周歩廊天井、正しく天上の世界~

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~ライトアップ、あまり明るくなく、すぐ消えてしまったので、残念と思いホテルに戻ってしまったのだが、どうもしばらくして、ちゃんとしたライトアップが始まったらしい、本当に残念~

ロマネスク以前の集中式礼拝堂と、ゴシック様式の発展形としての壁面が殆どステンドグラス化した内陣が違和感なく調和しながら存在している、そしてフランスとドイツの中世の歴史の源流を今に残す、この非常に貴重なアーヘン大聖堂は、本当に存在感のある、そして美しい大聖堂であった。





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プロフィール

クータンス

Author:クータンス
学生時代からフランスとゴシックの大聖堂に魅せられ、紆余曲折の人生を歩んだ結果、フランス永住の道を選択しました。
ここでは、フランスを中心としたゴシックの大聖堂を紹介したいと思いますが、フランスでは夜になると大聖堂は勿論のこと、殆どの歴史建造物がライトアップされます。また、単なるライトアップのみではなく、いくつかの大聖堂では、素晴らしい光のスペクタクルを見せてくれるところもあります。こういった大聖堂の写真も一緒に載せていきたいと思います。

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