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ケルン大聖堂

ケルンの町が、ドイツの宗教史上重要な位置を占めてきたのは、東方の三博士の聖遺物(遺骨)が存在するため。東方の三博士とは、イエス生誕の際、お祝いにやってきた三名の博士のこと。この三博士はそれぞれ、ヨーロッパ、アジア、アフリカ大陸を象徴しており、イエスを拝むということで、キリスト教が世界の全ての大陸に行き渡るということを意味している。ちなみに年始めにフランスで食べるガレット・デ・ロワのロワとは、この三博士のことだ。この聖遺物は、1164年に当時の神聖ローマ皇帝フリードリヒ一世によりミラノから持ち帰られたものだ。

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~巨大なケルン大聖堂西正面~

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~夕闇にシルエットが浮かび上がる~

以前にもお話したが、中世の信者にとって、聖遺物は具体的に、見て感じることのできる礼拝の対象であったので、聖遺物を保有する教会堂は、多くの信者を引き付ける(多くの寄進を集められる、人々の来訪により、当地で売買、商業が成り立つ、つまり、町の発展、繁栄に寄与することができる)ことができるので、どの町もこぞって聖遺物を欲したわけだ。

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~あまりに巨大でファインダーに入りきらない~

上記の宗教上の意義に加え、ライン川沿いの交易の要衝として発展し、経済的にも力のあったケルンの町が、大きな大聖堂を建設したいと願ったのは当然の成り行き。元々、司教座が置かれていたことから、4世紀には既に大聖堂が存在していたが、9世紀にはさらに大規模な2代目が建設され、東方三博士の聖遺物の到来により、より巨大な大聖堂が渇望されるようになる。

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~夕闇に大聖堂が照らし出される~

そして1246年に当時の大聖堂参事会が新大聖堂の建設を決定、1248年の旧大聖堂の火災による内陣崩壊をきっかけに、内陣から建設が着工される。正式名称を聖ペトロとマリア大聖堂とする現在の大聖堂の最初の建築家は、ゲルハルトと言う石工で、彼はフランスで数多くのゴシック建築に直に触れ、当時フランスで最大のゴシック建築であったアミアン大聖堂をモデルとして、ケルン大聖堂を設計する。平面図を見ても、外観を見ても、また、規模の点からも、アミアン大聖堂を範としたのは一目瞭然で、非常に似ている。全長144.6m(アミアン145m)、天井高43.5m(アミアン42.3m)と、略同じ規模で建設されている。後陣から見た巨大なフライングバットレスの構成もアミアンにそっくりだ。唯一異なるのは西正面の大尖塔位で、アミアン大聖堂の焼き写しといっても良い位だ。

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~アミアン大聖堂にそっくりな内陣部分のフライングバットレス~

DSC08447.jpg~後陣部分(夜景)、アミアン大聖堂とそっくり~

にも拘らず、大聖堂を見た時に受ける印象は全く異なり、ケルン大聖堂からは、ゴシック建築の持つ中世の息吹や、天を目指す垂直性・精神性が全く感じられない。この背景を以下に少しご説明したい。

ケルン大聖堂は、ゴシック建築というよりは、「ゴシックリバイバル」の産物として捉えられる。ゴシックリバイバルとは、18世紀後半から19世紀にかけて興ったゴシック様式の復興運動のことで、ドイツ、イギリスといった、元々ゴシック様式の存在したヨーロッパのみならず、米国にまで及んだ動きのことである。例えば、イギリスでは国会議事堂、米国では、ニューヨークの聖パトリック大聖堂等が挙げられる。

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~中世のゴシック建築というよりは近代のネオゴシックといった印象を受ける~

上記の通り、アミアン大聖堂をも凌ぐ大規模な大聖堂をドイツに、という願いで建設が開始されたケルン大聖堂は、1322年にようやく内陣が完成するが、その後は資金難から建設が遅々として進まず、ついに1560年には完全に中断されてしまう。その後廃墟と化した大聖堂には、1801年に取り壊し計画まで持ち上がる。これと平行して広がっていったのが、ゴシックリバイバルの動きで、丁度、弱体化し、ナポレオンに占領・支配されたドイツの、祖国統一、復活への強い願いと重なることになる。つまり、ゴシック建築で世界最大となるはずの、ケルン大聖堂の完成が、祖国統一の、強いドイツの復活の象徴と捉えられるようになっていったのである。

ここで重要な役割を果たすのが、ストラスブール大聖堂のところでも少し紹介した、大作家のゲーテとボワスレだ。ゲーテは1823年に、「ドイツ建築について」という著書を著し、その中で、ストラスブール大聖堂を絶賛、ゴシック建築は、「偉大なるドイツ精神の体現」と評しているのだが、当時ストラスブールは、ドイツ国境近くとは言え、フランス領にあり、ドイツ人の祖国統一への意思を高揚するためには、あくまでドイツ国内に存在する大聖堂でなければならなかった。ボワスレは、ゲーテとも交友があり、中世の文献を漁り大聖堂の完成図を再現し、当時の政界の有力者達にケルン大聖堂の完成を働きかけた人物だ。こういった文化人の動きが、当時の国民達の願望と結び付き、ケルン大聖堂の完成=強いドイツの復活、という構図が出来上がり、ついに、大聖堂建設が再開されることになる。こうして、1823年に既存部分の修復が始まり、1842年には未完部分の建設が着手される。157mの高さを誇る西正面双塔を戴く大聖堂が完成するのは1880年のことであった。

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~157mの双塔を戴く西正面~

規模の点ではアミアン大聖堂をも凌ぐケルン大聖堂がようやく完成したわけだが、そこには中世に建設されたフランスのゴシック大聖堂が持つ生命の息吹は感じられない。世の中が人知を超えた不思議かつ恐ろしい物で取り囲まれている時代に、神の家をこの世に現出させようと建設された中世の大聖堂と、産業革命と共に、近代世界が形成されていく中、発展した建築技術により建設されたケルン大聖堂とでは、根本のところでおのずと大きな違いが生じてくる。当初の計画に厳密に再現されたからこそ、全てのゴシック大聖堂が持つ、「未完」の部分が無く、それ故に「未完」の部分から想起される「無限」への指向といったものが、ケルン大聖堂には全く存在しないのだ。そこにあるのは、中世のゴシック大聖堂の模倣、魂の宿らない建築物でしかないのだと思う。きちんと完成「されて」しまったが故の矛盾だろうか、ストラスブール西正面にもし南側にも尖塔が存在していたら、ランス大聖堂西正面双塔上部にヴィオレ・ル・デュックの描く「理想の大聖堂」のような尖塔が乗せられていたら、果たしてどのような印象を持っていたのだろう。人に感動を与えるゴシック建築が「理想」なのであれば、完成を目指してはならず、「未完」のままでいることが良いのかも知れない。

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~完成された西正面が、却ってゴシック様式の「限り」の無い生命力を殺してしまっているように見える~

残念なことではあるが、ドイツ統一の意思と重なり完成したケルン大聖堂であるが、皮肉にも、中世の時代に完成した、規模の点では遥かに小規模な他のドイツ・ゴシック大聖堂、例えば、フライブルク大聖堂の方が遥かに見る者を引き付ける力を持っていると思う。

前置きが随分長くなってしまった。私が今迄ケルン大聖堂に対し、辛口のコメントばかりしてきたのは上記のような理由による。ただこれは、あくまで個人的な感想なので、これを見て感動する人も当然いるだろう。感性は人それぞれなので。また、そうは言ったものの、これ程の大規模なゴシック建築は、ゴシックに関心のある人なら、必ず一度は見ておくべきだと思う。

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~迫力ある西正面~

まずは西正面。100mを超える規模での尖塔が双塔として西正面に聳える大聖堂はここケルンだけで、見上げた時の迫力は圧倒的だ。黒っぽい石材を使用していることもあって、のしかかって来るような印象を受ける。中心部にあるのは、フランス式の薔薇窓ではなく、尖頭ステンドグラス。

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~中央部から西正面方向を見る~

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~内陣部分~

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~側廊から身廊を見上げる、非常に高いアーケード~

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~身廊の高窓層~

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~内陣高窓層~

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~祭壇彫刻にステンドグラスの虹彩が影を落とす~

内部は流石に天井高43.5mを誇る非常に広大な空間。そしてあらゆる芸術品が存在する博物館だ。窓には、殆どが15世紀以降のもので、深みはないものの、色彩豊かなステンドグラスが数多く嵌め込まれている。大聖堂の規模に比例し、ステンドグラスも非常に巨大だ。彫刻も素晴らしいものが多い。中でも素晴らしいのが、16世紀制作の「5人のモーロ人」の祭壇彫刻。スペインの繊細な木造彫刻にも匹敵する作品だが、残念ながら、修復のためか、鉄枠の覆いで囲まれており、間近で見ることができなかった。翼廊南側円柱にある聖クリストフの彫像も生き生きとしており素晴らしい。

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~外陣側廊のステンドグラス(1)~

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~外陣側廊のステンドグラス(2)~

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~外陣側廊のステンドグラス(3)~

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~外陣側廊のステンドグラス(4)~

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~外陣側廊のステンドグラス(5)~

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~内陣上部のステンドグラス~

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~内陣周歩廊のステンドグラス(1)~

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~内陣周歩廊のステンドグラス(2)~

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~内陣周歩廊のステンドグラス(3)~

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~内陣周歩廊のステンドグラス(4)~

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~5人のモーロ人の祭壇彫刻(一部)~

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~聖クリストフの彫像~

堂内にある芸術作品で最大の見所は、ケルン派と呼ばれるドイツ北方ルネサンスの画家、ロッホナーの東方の三博士を主題とした「三王祭壇画」。北方ルネサンス絵画らしく、鮮やかな色彩と非常に緻密な描写が誠に素晴らしい。

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~ロッホナーの「三王祭壇画」~


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~「三王祭壇画」中心部分~


内陣の最奥に置かれているのが、13世紀に制作された、金銀宝石で埋め尽くされた東方三博士の聖遺物を納める聖遺物箱。聖遺物の霊験を高め、巡礼者を多く引き付けるのにきっと一役買っていたのであろう。

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~東方三博士の聖遺物箱~

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~内陣周歩廊から上部を見上げる~

あまりに見るものが多く、じっくり見て回ると1時間ではとても足りない。いい加減飽きてきた子供達がぐずり出したので、仕方無く外に出る。ライトアップが始まる日暮れを待つ間、近くの居酒屋で美味しいソーセージと地ビールを頂く。この時間だけは子供もご機嫌になる。お腹も満たされ、夕闇も迫ってきたので、ライトアップの写真を撮りに出掛ける。

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~ライン川に架かる鉄橋越しに大聖堂を見る~

DSC08424.jpg~ライトアップ(1)~

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~ライトアップ(2)~

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~ライトアップ(3)~

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~ライトアップ側面~

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~翼廊部分から西正面方向を見る~

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~ライトアップされた西正面~

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~西正面を斜めから仰ぎ見る~

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~正面から仰ぎ見る~

ケルン大聖堂はライン川に面しているため、対岸に行くと、川沿いにライトアップされた全景を見ることができる。白い明りで、暗闇に銀色に浮かび上がる大聖堂はとても美しかった。

ということで、今回のドイツ小旅行は終わりだが、この頃イタリアと言い、フランス以外の大聖堂の紹介が多い。次回からしばらくはフランスのゴシック建築の紹介に戻りたいと思う。

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プロフィール

クータンス

Author:クータンス
学生時代からフランスとゴシックの大聖堂に魅せられ、紆余曲折の人生を歩んだ結果、フランス永住の道を選択しました。
ここでは、フランスを中心としたゴシックの大聖堂を紹介したいと思いますが、フランスでは夜になると大聖堂は勿論のこと、殆どの歴史建造物がライトアップされます。また、単なるライトアップのみではなく、いくつかの大聖堂では、素晴らしい光のスペクタクルを見せてくれるところもあります。こういった大聖堂の写真も一緒に載せていきたいと思います。

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