スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ル・ランシー教会堂

ゴシック様式の最大の特徴の一つは壁面のステンドグラス化。様式の発展と共に、壁面における窓の占める面積が拡大していくのは、今迄様々なゴシック大聖堂でご紹介してきたところだが、現代の建築技術でこの特徴を追求した教会堂がパリ郊外のル・ランシー(Le Raincyと書く)という町に存在するのでご紹介したい。

DSC02714(a).jpg
~ル・ランシー教会堂正面~

ル・ランシーの町は、パリの東北東20km弱のところにあり、セーヌ・サン・ドニ県に属する。あまりガラの良くない同県にしては瀟洒な町並みに感じるのは、その昔、ヴェルサイユ宮殿に匹敵する豪奢な城があったため。ルイ13世の財政担当官吏ジャック・ボルディエが、1640年に、ベネディクト会修道院の跡地にランシー城を建設するのだが、設計を任されたのは、フランスで最も美しいお城と評されるヴォー・ル・ヴィコント城を設計したルイ・ル・ヴォー。何と240ヘクタールの敷地に、200頭もの馬が入る厩舎を持っていたらしい。残念ながら、このランシー城は、ジャック・ボルディエの死後、人の手を転々と渡り、ついには、1819年プロシア軍により完全に破壊され、今は面影も無い。ただ、こうした歴史的背景からか、近現代になって、富裕層がこの地にこぞって邸宅を建てたから、貧困層の集合住宅が立ち並ぶ他の近郊の町とは異なり、落ち着いた町の佇まいとなっているようだ。

DSC02569a).jpg
~尖塔を見上げる~

さて、お目当てのル・ランシー教会堂、正式には、ノートルダム・デュ・ランシー教会堂と呼ばれるが、1922年に着工、翌年に献堂式が行われた。設計したのは、オーギュスト・ペレという建築家。鉄筋コンクリートによる建築を世に広めた、近代建築史上重要な人物で、かのコルビュジェも影響を受けたという。ベルギー人として生まれるが、父のフランス亡命に伴ってパリを居住の地とし、1913年に、初の鉄筋コンクリートによる作品となるシャンゼリゼ劇場を、パリのモンテーニュ通りに建設する。石材の代わりにコンクリートを用い、装飾性を廃したその外観は、素っ気無く厳しくもあり、世の人々をあっと言わせることになる。この次の大きな作品として彼が手掛けたのが、ル・ランシーのノートルダム教会だった。

DSC02566.jpg
~入口広場の小さな花壇~

急激な人口増加に、より大きな教会堂が必要となった当時のル・ランシー主任司祭フェリックス・ネグル神父は、新しい教会の建設に係る見積もりを取るが、寄付を含めても非常に乏しい建設資金は、見積もりの僅か1/6にしか満たなかったらしい。そこで神父から相談を受けたペレは、安価で建築が可能な、コンクリートを素材に選ぶ。こうして1922年に、世界初の鉄筋コンクリートによる教会建設が着工、急ピッチで工事は進み、翌年1923年に献堂されることとなる。
幅20m、長さ56m、正面尖塔の高さ50mのル・ランシー教会堂は、ペレの作品らしく、外観は、アールデコ様式の装飾性を省いた簡素な造り。これだけでは、この教会堂が建築史上、有名ではあってもこれほど重要なものとはならなかったであろう。この建築作品が今でも多くの人々を惹き付けるのは、冒頭に書いたように、壁面全てがステンドグラス化していることによる。

DSC02570(a).jpg
~入口から堂内を見る~

DSC02628(a).jpg
~こちらは内陣から入口方向を見たところ~

DSC02629(a).jpg
~天井が光の膜の上に乗っかっているよう~

学生時代、ヴィオレ・ル・デュックを読み耽ったペレはゴシック建築にも大いなる関心を示していた(建築を学ぶ者にとってゴシック建築を通過しない者など、いないろうが)。鉄筋コンクリートの使用により、自重を支える分厚い壁面や、フライングバットレスが必要となくなったことから、ペレは、ゴシック建築の重要な構成要素である壁面のステンドグラス化を、ここに実現しようと試みた。この大胆な実験が成功したかどうかは、堂内に足を一歩踏み入れれば一目瞭然に分かる。何と素晴らしい空間だろう。そこにあるものは壁ではなく、光の半透明の「膜」だ。天井が中空に浮かんでいるような錯覚にさえ陥る。

DSC02575(a).jpg
祭壇後ろの深い青のステンドグラスの十字架~

DSC02598(a).jpg
~仰ぎ見たところ~

DSC02602(a).jpg
~すぐ真横のステンドグラス~

DSC02599(a).jpg
~一つ一つは幾何学模様となっている~

DSC02669(a).jpg
~最奥部から左側、青から赤へ~

DSC02605(a).jpg
~段々と明るい色へと変化していく~

DSC02673(a).jpg
~各々の壁面には十字が見て取れる~

DSC02689(a).jpg
~そして入口横までいくと色彩は緑に~

DSC02620(a).jpg
~こちらは右側側面、色彩が青から紫、オレンジへと変化していき~

DSC02698(a).jpg
~黄色がかった明るい色になる

DSC02621(a).jpg
~祭壇側から見る、明るい色への変化がより良く分かると思う~

勿論、この素晴らしい堂内を演出するのは、ペレの独創的な発想のみでなく、窓に嵌め込むステンドグラスを製作したマルグリット・ユエに負うところも大きい。最奥部、祭壇後ろに大胆な青を用いた十字架のステンドグラスを配し、これが入って左手の側面から入口に行くにつれて赤から緑に、反対の右手側は、紫、オレンジから黄色へと、徐々に色合いが変化していく。左右の側面は、それぞれ5つの連続する壁面が連なる形となっているが、一つ一つに祭壇後部と同様、色彩の異なる十字が配され、「光」の十字架により周りを取り囲まれているような印象を受ける。これほど迄に光に満たされた堂内空間はどこにも無いのではないだろうか。

DSC02581(a).jpg
~祭壇に上る階段に光の反映が落ちる~

DSC02608(a).jpg
~玉虫色の光の影~

DSC02613(a).jpg
~赤と紫の光の反映が美しい~

身の丈のところにまでステンドグラスの壁が降りてきているので、陽射しを受け、堂内に映る光の影は、あるところでは、緑や赤の斑点となって床にふるえ、椅子や壁のところでは、角で砕け一層長い光の縞となって堂内に延びている。建築と光の見事な融合がそこにはあった。人もまばらな堂内で、ゆっくり座って見渡したり、歩き回っては近くや遠くからステンドグラスを眺めたりと、静かな、そして充実した一時を過ごすことができた。

DSC02650(a).jpg
~光の縞が色彩を変化させながら延びる~

DSC02700(a).jpg
~入口裏側、ステンドグラスを見ると良く分からないが、床に落ちた光を見ると緑色が見て取れる~

DSC02717(a).jpg
~側面、ステンドグラス化した壁が良く分かる~

DSC02722(a).jpg
~教会堂全景~

ちなみに、日本にいる人は、わざわざここル・ランシー迄足を運ばずとも、オーギュスト・ペレが地上に作り上げた作品がどのようなものなのか、東京でも体験することができる。ペレの弟子であるベドジフ・フォイエルシュタインとチェコの建築家アントニン・レーモンドが建設した、ル・ランシー教会堂の縮尺版と言える礼拝堂が、東京女子大学にあるので、興味があれば是非見に行って欲しい(私は写真でしか見たことがないが、本当にそっくりだ)。蛇足ながら、このル・ランシー教会堂は、歴史の浅い建築物ながら、その価値の高さにより、フランス歴史建造物に指定されている。また、ペレは、第二次大戦で廃墟と化したフランス・ノルマンディーの港町ル・アーブルの都市再建計画も手掛けており、こちらはユネスコ世界遺産にも指定されている。偉大な建築家だったんだなあ。

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

クータンス

Author:クータンス
学生時代からフランスとゴシックの大聖堂に魅せられ、紆余曲折の人生を歩んだ結果、フランス永住の道を選択しました。
ここでは、フランスを中心としたゴシックの大聖堂を紹介したいと思いますが、フランスでは夜になると大聖堂は勿論のこと、殆どの歴史建造物がライトアップされます。また、単なるライトアップのみではなく、いくつかの大聖堂では、素晴らしい光のスペクタクルを見せてくれるところもあります。こういった大聖堂の写真も一緒に載せていきたいと思います。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。